不寛容とは感情で、結局感情が争いを生んでいるのでは?

投稿者: | 2025年6月24日

結局のところ、不寛容さが、争いを生んでいるのではないか?

不寛容とは、寛容ではないの反対であるが、不寛容という生き方は、独善的のようにも見える。

しかし、不寛容だけで生きるのは難しい。

禁止することと、不寛容であることの違いがある。

禁止はルールだが、不寛容は感情ではないか。

つまり、不寛容という感覚が発生している。

その感情の根底には、やはり自尊心がありそうだ。

寛容になれないのが、不寛容ではなく、自尊心を傷つけられたことで、不寛容という感情が発生するということである。

ヴォルテールの寛容論では、過去の宗教の寛容さ、不寛容さから、話を進めている。

しかし、不寛容かどうかは、教義の問題ではなく、感情の問題なのではないか?

と、個人的に思った。


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