超訳 アドラーの言葉 – 示唆に富む言葉が多くアドラーにまずは触れてみたい人におすすめ

投稿者: | 2024年10月20日

評価・レビュー

☆5/5

オーストラリアの精神科医 アルフレッド・アドラーの書籍から、様々な言葉をピックアップして紹介している本。

テーマは、

  • 「働く」ことの意味
  • 人間関係の悩み
  • 愛・パートナーシップ
  • 教育において大切なこと
  • 勇気をもつ
  • ライフスタイル(性格)
  • 人間とは何か
  • 劣等感・劣等コンプレックス
  • 共同体感覚について
  • 学び、理解したことを実践せよ

と幅広く、生きるヒントが様々語らています。

全体的に感じたのは、人間は社会によって生かされていて、その社会は協力と分業によって成り立ってているので、協力や分業をしっかりやろう的な。それが人間の目的と捉えました。

共同体感覚という言葉が使われていますが、社会という共同体の中で生かされていることをしっかり認識せよという話かなと。

なので、そこからはみ出るというか、社会を壊したり、妨害したりするのは、良くないというか、悪という感じ。

また、子どもに対する教育の話が結構出てきて、個人的に共感できる部分も多かったです。

例えば、

私たちは、自分の子どもに友人として、あるいは対等な人間として接するべきだ。

というのは、自分が子どもと接する時に常に考えていたことでもあったので、印象に残りました。

1つ1つの項目はそれほど長くないので、ちょこちょこ読むにも最適です。

また、深い解説は無いので、もっと知りたければ、他の著書を読む感じになると思います。

ですので、他の著書を読むきっかけの本としても良いと思いました。

以下は、引用しつつ個人的なメモ。

経験に与える意味によって自らを決定する

いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック ― いわゆるトラウマ― に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである

どのような物事も、受け取り方によって大きく変わるという話。

本書では似たような言葉が何回か出てきていて、失敗でふさぎ込むのではなく、その失敗をどう受け止めるか、つまり、どう自分の人生に活かしていくかが大切と個人的には捉えました。

また、失敗だけではなく、成功についても同様。それは上記の冒頭にある、いかなる経験もという言葉に表れています。

結局、どのような経験であっても、受け取り方が重要で、経験したこと自体に拘泥していると足元をすくわれるということかなと。

これはよく言われる話ですが、成功体験にこだわりすぎて失敗するみたいな話に近いと思いました。

仕事で成功するには周りの人や社会に適応できるかが大切

仕事で成功するかどうかは、周囲の人々や社会に適応できるかどうかにかかっている。
一緒に働く人たちや顧客の要求を理解し、彼・彼女らの目で見て、彼・彼女らの耳で聞き、彼・彼女らの心が感じるように感じることのできる能力は仕事において大変重要なものである。
アドラー『生きるために大切なこと』

最近、様々な本を読んでいて感じるのは、「人生とは人間関係」なのかなと。

つまり、人間関係が良好であることが人生における幸福という話。

そして、人間関係が良好ということは、成功にも繋がるので、結果として人間関係が人生を決める大きなファクターになるのではないかということです。

それは人と喧嘩しないということではなくて、自分が生きやすい人間関係を作っていく、または生きやすい人間関係の中で生活するということかなと。

意見の対立はどうやっても起きてしまうものですが、その時に、人間関係が良ければ、その後も関係性が続くでしょうし、人間関係が悪ければそこで関係性は終わってしまうでしょう。

で、人間関係が終わったとしても、そもそもそこでの人間関係の中で生活していない人にとっては、人生に対した影響は無いという話です。

例えば、海外に住んでいる場合は、日本で人間関係が悪くなっても、そこまで影響はありません。

これはロケーションの例ですが、仕事の領域というか、例えば本業があって、それ以外の領域で人間関係が悪くなろうとも、本業の人間関係が良好であれば、本業に影響があまりないという話でもあります。

そう考えれば、自分の生きていくフィールドをどうやって守っていくかも大切なのかなと。そんなことを思ったりもしました。

まだ本気出してないだけ

「もし自分が怠けさえしなければ、大統領にだってなれる」と考える人がいる。
この人の向上心は、「条件付き」の向上心だ。
「もし」「〜できなければ」という条件が付いている。
本当の向上心とはいえない。
自分のことを過剰に高く評価していて、自分は社会にとって役立つ立派な人間だと思い込んでいる。
アドラー『生きるために大切なこと』

「俺はまだ本気出してないだけ」というマンガと映画がありましたが、それをふと思い出しました。

また、条件付き向上心という言い回しは、とても良いなと。

子どもに「やればできる」というのではなく、「やらなきゃできない」と教えるべきというのもふと思い出して、条件付き向上心というのは、結構厄介なものだなあとも思います。

自分自身を振り返ってみても、若い時は条件付き向上心に縛られていた時があって、結構多くの人が悩んでいるというか、抱えている問題のようにも感じます。

大切なことは、自分自身の能力をちゃんと認識すること。今だとメタ認知なんて言われたりしますね。

で、認知した上で今後どう行動し、実際にアクションしていかないといけないということ。

と、自分で書きながらも、自分もできていないことが多くて、反省中。

価値は自分で決めるものではない

価値があるかどうか、成功かどうかの判断というのは、結局、協力に基づいている。
私たちの振る舞いや仕事、成果などすべてにおいて求められるのは、いつだって「人間が協力し合えることに役立つかどうか」という視点だ。
アドラー『人生の意味の心理学 上』

本書では協力という言葉で表現されていますが、結局のところ、人は一人では生きていけないというか、一人では存在していても意味はないのだろうと思います。

あくまで自分と他者の相対的な関係によって成り立っているという話。

ループ量子重力理論を研究しているカルロ・ロヴェッリ氏の著書に「世界は『関係』でできている」というのがあり、それを思い出しました。

参考 → 世界は「関係」でできている 美しくも過激な量子論 – 相互作用なくして、属性なし。 | ネルログ

前述したように、人間は社会に生かされているわけで、社会無くして人間無しなのかもしれません。

だからこそ、社会的なものというのは、人間にとってとても大切なのかなと。

社会を否定することは簡単。

ただ、社会を否定するということは、例えば人間社会から脱してアフリカやアマゾンの奥地で、一人で自然の中で生きていくことで、ちょっと想像すれば、それは人間的な営みができる状態ではないようにも思います。

いや、俺はサバイバル技術に長けているからと言う方もいるかもしれませんが、それは大人だからであって、アフリカやアマゾンで一人で生まれた赤ん坊を考えれば、どうやっても生存は難しいだろうことは想像に固くないでしょう。

大人になると、赤ちゃんや子どもの頃に、社会によって生かされ、育てられてきたことを忘れがちな気がします。

自分もなんとなく一人で生きていけるなんて思っていたこともありましたが、そのような状態になるまでは、結局社会で生かされて来たんですよね。

そう考えると、社会へ自分の能力を還元することが大切だというのは、当たり前のようにも感じました。

二人で行うタスクの教育が必要かも

結婚は、二人でするものである。
しかしながら、これまでの社会生活で私たちは、「自分一人」で行うタスクか、「集団」で行うタスクのやり方は教わるが、「二人」の共同作業について教えてもらう機会は少ない。
しかし、教わってこなかったとしても、それぞれが自分のやり方で、自分の人格を高め、平等の精神を大切にすれば、よい結婚生活を送ることができるだろう。
アドラー『生きるために大切なこと』

アドラーは、自身の人格を高め、平等の精神があれば、良い結婚生活が送れると述べていますが、その前段の二人の共同作業について教えてもらう機会が無いというのは、かなり重要な気がしています。

特に、結婚における男女というのは、結婚以外ではあまり無い共同作業かなと。

恋愛は共同作業って感じではないですからね。

また、同性同士の場合って、友人関係で二人だけの共同作業をすることや話をすることも多い気がするので。

そう考えると、中学生ぐらいから、男女ペアによる共同作業という教育をしたほうが良いのかもしれないと思ったりしました。

自分の場合、高校が男子高だったのもあって、20代の後半まで、女性に対しての接し方がわからず、かなり苦労したのを覚えています。

それは恋愛だけではなくて、普通に仕事をしている時もそうです。

距離感がわからないから、距離を取りすぎることもあれば、無意識に近づきすぎてしまうこともあって、なかなか難しいなと。

もっと10代の頃に、女性と話をする機会が欲しかったです。

体罰は善か悪か

あらゆる体罰に対して、私は反対の立場をとることを知っていただきたい。
私は、相手に変化を促すときも、その子の児童期初期の状況を知ろうとし、「説明」や「説得」を用いる。
私とは逆のやり方、つまり子どもを叩いたりして、どんないい結果が得られるというのか。
アドラー『アドラーのケース・セミナー』

ちょっと前に、ABEMAプライムでやっていた「体罰は善」と言っている方の動画を見ました。

アドラーの立場は反対とのこと。

で、ABEMAプライムを見ていた時に感じたのは、何をもって善とするのか?が不明瞭のまま終わってしまった点です。

善とは何?と聞かれて、善いことと答えるのは、少し違うかなと。

というのも、絶対善が共通認識であるなら、世の中、もっと平和になってますからね。

結局、善に対する定義の違いが問題の根本なのですが、体罰の善悪に終始してしまっていて、話がずっと平行線のように感じました。

個人的に善の定義は、

「善とは社会の利益追求行動、悪とは個人の利益追求行動」

と考えています。

参考 → 善悪という怪物: それは脳で繁殖し、人を支配し、世界を破壊する – 人は善悪を使って自身を騙す | ネルログ

今後、また変化するかもしれませんが。

ただ、本書のアドラーの言葉を読んでいくと、アドラーの考える善悪は、自分の考える善悪に近いところがあると思いました。

それは、善悪の判断は社会がキーになっているという点です。

善悪については、改めてちゃんとエントリにまとめようかなと思います。

怒りは支配欲

人間の力を追求するがゆえの支配欲を象徴する情動は、「怒り」だ。
怒っている人は、いま抱えている問題を「いち早く、力ずくで、打ち負かす」という目的をはっきり示している。
こうした知識をもっていれば、「怒っている人」というのは、「力をふりしぼってひたすらに優位性を示したい人」だということがわかる。
認められようとする努力は、しばしば権力を得ようとする陶酔感に変わる。
この種の人は、自分の権力(自分には力があるという感覚)が少しでも脅かされると、怒りを爆発させる。
彼・彼女らは、これまでの経験から、怒りを示すことで、最もたやすく他人を支配することができ、自分の意志を押し通すことができると感じている。
アドラー『性格の心理学』

この文章を読んだ時、昔の上司を思い出しました。

常に怒りちらしていましたが、確かに怒りによって他者をコントロールしようとしていたなと。

また、それが原因で自分はメンタルを病んでしまいました。

怒る人からは距離を取るのが一番善いかなと。

と、まだまだ示唆に富む言葉が多く、取り上げたい内容が次から次と出てくるほど、考えさせられる内容が多い良書です。

いきなりアドラー心理学の一冊を読み始めるよりも、サラッと触れることができるので、ぜひ手にとって欲しい一冊。

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