僕がネコである可能性はどのぐらいあるのか?

投稿者: | 2025年4月18日
NovelJam2025 嵯峨景子賞
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確かに見た目は大きく違う。

しかし、その違いというのは、遺伝子においては数パーセントでしかない。

つまり、種としてはニアリー、近い位置にいると言える。

ネコを、ネコ足らしめている理由は何か?

その外見だろうか?

たとえば、耳を怪我したネコはネコではないのだろうか?

いやネコだ。

そう、身体の一部が無くなって、ネコはネコなのだ。

それは人も一緒だろう。

じゃあ、どこまでいけば、ネコじゃなくなくなるのか?

ネコの身体を移植したらどうだろう?

身体の何パーセントを移植したら、僕はネコになれるだろうか?

明確な数値がでるだろうか?

なんとなく、そのあたりは曖昧な気もする。

おそらくだが、不気味の谷に近いデータがでる気がする。

ある一定のところで、急に僕はネコになるのだ。

ただ、見た目だけネコで、脳が人間だったら、それはネコなのだろうか?

人間の言葉を話すネコは、ネコなのだろうか?

哲学対話をするネコは、本当にネコと言えるのだろうか?

そこには賛否ありそうな気がする。

つまり、外見がネコならネコ派と、中身もネコじゃなきゃネコとはいえない派だ。

ここで少し視点を変えてみよう。

ライオンがネコである可能性はどのぐらいだろうか?

ネコ科だから、ライオンもネコと言えそうな気もする。

いや、ライオンはライオンだろうという人もいるだろう。

そういうふうに分類してるんだから。

確かにその通りだ。

しかし、ここで疑問が生じる。

別に、ライオンを、ライオンネコという名前にして、ネコであると言うこともできるのではないか?という疑問だ。

何が言いたいのかというと、結局、ネコかネコじゃないのかは、人間が決めているということだ。

外見がネコならネコ派と、中身もネコじゃなきゃネコとはいえない派に分かれたのも、結局は個々人が決めている判断基準に過ぎない。

ということはだ、世界中の人が、僕をネコだと判断すれば、僕はネコになれるということになりはしないだろうか?

自分がめちゃくちゃ金持ちで、全世界の人に1億円を配れるだけでの財力があったとしよう。

僕をネコと認定してくれれば、1億円をあげると言ったら、多くの人は、僕をネコだと言ってくれそうである。

もちろん、反対する人もいるだろう。

しかし、過半数の人が、僕をネコだと言えば、僕はネコになれそうな気がする。

ただ、僕は全世界の人に1億円を配れるほどの財力を持ち合わせていないし、今後もそれほどのお金を稼ぐことはできないだろう。

そういう意味では、僕がネコである可能性は限りなくゼロに近い。

やはり僕はネコになることはできないのだろうか?

さらに、考えを深めてみよう。

そもそも、ここで言うネコとは、ネコ科の動物のことである。

しかし、ネコという言葉には他にも意味があるのだ。

そうタチとネコのネコである。

であるならば、僕はネコである可能性がでてきた、というか、タチとネコについては、基本的に自称である。

ということは、僕はネコだと宣言すれば、100%ネコになれるのではないだろうか?

つまり、何が言いたかったのかというと、僕がネコである可能性はあるということだ。

それ以上でもそれ以下でもない。

そして、意味もない。

言ってしまえば、意味無しジョーク。