
書き殴った文章をAIに整理してもらった。
目次
◆ はじめに:炎上はなぜ起きるのか?
SNS上で起こる炎上は、単なる批判や攻撃ではなく、人間が一体感を求める心の働きが背景にあるのではないか?
この疑問から考察が始まる。
◆ 昔の日本に存在した大きな一体感
かつて日本社会には、国民全体が共有できる感情の瞬間があった。
- ドーハの悲劇
- マイアミの奇跡
- ジョホールバルの歓喜
これらの日本サッカーの出来事は、全国民が同じ話題で盛り上がり、共通の熱狂や感情を味わえた。
その瞬間、日本には確かに強い一体感が存在していた。
◆ 一体感の喪失と時代の変化
しかし現在、サッカーを含め、日本全体が熱狂する出来事は減少している。
ニュースやイベントが細分化され、人々が共通で盛り上がる機会が希薄になった。
この「盛り上がる対象の喪失」が、人々の心理に何らかの空白を作っている可能性がある。
◆ 炎上が“代替イベント”になっている仮説
その空白を埋めるものとして、SNSでの炎上が機能しているのではないか。
炎上は毎日あるわけではなく、何かきっかけが必要で、しばしば批判されるべき行動や事件が引き金になる。
しかし多くのケースで、当事者と無関係な人まで加わり、声をあげてしまう。
◆ なぜ無関係な人まで参加してしまうのか?
冷静に考えれば、芸能人の不祥事が自分の幸福や人生に影響を及ぼすことは少ない。
それでも反応してしまう理由として、
- 他者を批判することで、自分の優位性を感じたい本能
- DNAに刻まれた「競争」と「評価」の仕組み
が働いている可能性がある。
ただし、SNSでの発信や「いいね」「リポスト」が、必ずしも優位性に繋がるわけではない。
◆ 優位性ではなく“一体感”が目的になっている可能性
炎上に関わる多くの人が求めているのは、実は攻撃する快楽ではなく、
「みんなと同じ方向を向いている」という安心感
「自分は仲間側だ」という確認
つまり一体感の獲得である。
炎上とは、参加者が互いに「味方か敵か」を判定し、味方であることを確かめ合う場になっている可能性がある。
◆ 一体感は人間の本能である
人間は進化の過程で、
- 仲間を集めること
- 敵を識別すること
- 集団に所属し、守られること
に価値を見いだしてきた。
そのため、現代でも人は根源的に一体感を欲する生き物なのかもしれない。
◆ 結論:炎上は「インスタントな一体感」である
SNSの炎上に参加してしまう理由は、単なる批判衝動ではなく、
すぐに得られる一体感への渇望
が背景にある可能性が高い。
炎上は、現代社会における即席の共同体体験として機能しているのかもしれない。
以下、AIにまとめて貰う前の原文
これはあくまで個人的にだが、SNSにおける炎上というのは、ある意味、一体感を求めているから発生するのではないか?と思った。
そう思った背景は、昔の日本サッカーである。
W杯を逃したドーハの悲劇、ブラジルに初めて勝ったマイアミの奇跡、W杯を決めたジョホールバルの歓喜は、日本サッカー界だけでなく、日本中の人々に大きなインパクトを与えた。
当時は、誰しもが知っていることで、誰しもがその感情を共有できた。
W杯を決めたときは、日本中が沸いた。
一体感があったのだ。
しかし、今の日本サッカーは、そこまで日本中が沸くようなことも無くなり、一体感も得にくくなったと個人的には思っている。
そして、そのような日本中が一体感を味わえるようなイベントが、最近ほとんど無い。
その結果、一体感を味わえるイベントとして、炎上というのがハマったのではないか?という説である。
当然、SNSの登場もあるだろう。
ただ、SNSがあったからといって、毎日、炎上しているわけではない。
何かきっかけがある。
もちろんそれは、非難されるべき事柄ではある。
例えば、芸能人の炎上。
落ち着いて考えてみると、別に芸能人がどうこうしたところで、自分の人生には一切関係ない。
それで幸福になることも、不幸になることもないだろう。
もちろん、アイドルのファンなど、常日頃から応援している人にとっては、影響があることは理解できる。
であれば、その人たちだけで、騒げば良いだけの話ではないだろうか。
ところが、日々、意識したことがないような芸能人であっても、非難されるような事件を起こすと、ついつい言いたくなってしまう。
SNSで発言しなかったとしても、である。
これは自分自身についても思い当たることが多々ある。
このとき、自分の中では何が起きているのかと言えば、おそらくであるが、他者を非難することで、自身の優位性を上げるということだ。
これは、人間の本能に組み込まれた仕組みだと思っている。
DNAに縛られている限り、そこから抜け出すことはできないだろう。
しかし、それをSNSで発信する意味はない。
ましてや、いいね!を押したり、リポストしたりするのは、自分の優位性を上げることには繋がらないだろうと思う。
そこに、違うロジックが入っているのではないだろうか。
それが一体感である。
もちろん、燃やすことが楽しいというのもあるかもしれない。
ただ、多くの人は、燃やすことに同意する、いや、同調することで、皆が仲間だということを確認している可能性もある。
そして、それが一体感。
ちょっと話は変わるが、コミュニケーションの本質は敵か味方かと個人的には思っていて、一体感というのは、まさに味方であることの確認作業ではないだろうか。
つまり、味方を作ることの最も大きな感覚が一体感という話。
味方を作るというのもDNAに刻まれたシステムと推測できる。
ということは、人間は本質的に一体感を求めている可能性があろう。
結果、インスタントに一体感を得られる炎上に加担してしまうというわけである。
