
親にされた酷いことを、他の誰かに強いるのは、甘えているのかもなとか、そんなことをふと思った。
親に甘えることができなかったから、甘える方法を知らないとも言えるかも知れない。
つまり、親からされた酷いことが、甘えることだと誤認識している感じ。
DVの連鎖というのも、そういうことなんじゃないかなとか。
正確には甘えているというか、それを愛情表現だと勘違いしているという方が正確な言い方かもしれない。
まあ、あくまで個人的な推測だけれど。
また、別の視点として、親というのは何でも受け入れてくれる存在だと認識しているというのもあるかもしれない。
反抗しても、暴言吐いても、許してくれる親というのが、理想の親だと思っているというか。
で、それを他者、パートナー、恋人に求めてしまう。
本当に愛しているのであれば、受け入れてくれるはずだ的な。
その受け入れてくれるはずだ的な考え方が、相手に対して甘えているという風にも考えることができないだろうか。
わからないけれど。
ただ、一つだけ言えることは、俺は君の親じゃないってこと。
だから、親的な愛情は、持つことができないし、それは役割としても違うんじゃないかなって。
そんなことを思った今日このごろ。
