
書き殴った文章をAIに整理してもらった。
目次
1. DNAに刻まれた「生命の本能」
人間はDNAという設計図によって作られており、その目的は「子孫を残すこと」、すなわちDNAをできるだけ長く存続させることにある。
この使命には神や意志の介在はなく、単なる化学反応の結果として生まれた偶然の産物である。
2. 生命の多様性と「人間の特異性」
宇宙には、人間が生存できない環境でも、生命のようなものが存在する可能性がある。
ただし、人間は他の生命とは異なり、「同族に対して殺意を持つ」ことができる。
他の動物が同族と争うのは、食料や縄張りなどの資源を奪うためであり、「殺すことそのもの」を目的とする人間の殺意とは根本的に違う。
3. 「人を殺してはいけない」はDNAには存在しない
人間のDNAには「人を殺してはいけない」という情報は存在しない。
それはあくまで後天的に、人間社会がつくり出したルールである。
宗教や法律がその代表であり、社会を維持するための約束事として設定されたものだ。
もし誰もが自由に殺し合えば、社会としての秩序と利益が崩壊してしまう。
4. 「殺してはいけない」は社会のための合理
人を殺してはいけないという道徳は、社会の安定と共同体の利益を守るための合理的な仕組みである。
しかし一方で、「自分が殺されたくない」という個体レベルの本能も、DNAに刻まれた生存欲求から生じている。
つまり、DNAレベルでは「自分が生き残るために他者を殺す」ことも正当化されうる。
その結果として、「人は人を殺す」のだ。
5. 戦争と殺意の違い
戦争は、共同体と共同体の利益が衝突することで起こる。
権力者にとって戦争は「相手の利益を奪う」ための手段であり、個人的な殺意はそこにはほとんど存在しない。
たとえるなら「美味しいワインを飲みたいから、誰かに命令して奪ってこさせる」ようなものだ。
その過程で人が死んでも、権力者自身のDNA的欲求(生存と快楽)は満たされるため、痛みも感じない。
6. いつの時代も「末端」が割を食う
戦争に限らず、国家でも会社でも、共同体という構造の中ではいつも末端が犠牲になる。
強者が弱者を搾取する構造は、DNA的には「生存本能の自然な結果」とも言える。
弱者救済という名目の活動が存在しても、その裏で強者が弱者を利用し、富や快楽を享受していることも多い。
弱者が必死に生きる隣で、強者が高級ワインを飲む――それが現実であり、滑稽であり、同時に自然でもある。
まとめ:倫理は「自然」ではなく「構築物」
「人を殺してはいけない理由」は自然界には存在しない。
それは人間が社会を成立させるために後から作り出した人工的なルールだ。
DNAの視点で見れば、生存と繁栄こそが唯一の目的であり、倫理や道徳はその上に後付けされた幻想にすぎない。
それらを理解した上で、社会の中で生きていく、社会の一員であればルールを守るというのが、「人を殺してはいけない理由」なのだろうと思う。
以下、AIにまとめて貰う前の原文
人を殺してはいけない理由
そんなものは存在しない。
そもそも人間はDNAという設計図で作られている。
DNAの目的は子孫を残すことだ。
できる限り長くDNAを残すことが使命とも言える。
使命というと、誰かからのなにかからの意図を感じるかもしれないな。
正確には、そんなことはなくて、化学反応の結果、偶然出来上がったものだ。
よく人の住めない惑星という表現がされるが、実際には人は住めないかもしれないが、生命のようなものは存在するかもしれない。
我々とはまったく異なる知的生命体が存在する可能性は否定できないだろう。
話を戻そう。
人間だけが同族を殺す殺意を持つことができた。
同族で競う動物はいるが、それは殺意というよりも、略奪、相手の物を奪い自分の物にするための行為だ。
人間の殺意とは根本的に異なる。
人間の殺意とは、相手の生命を奪うことが目的だからね。
また話がそれてしまった。
結局、人間の根本的な設計図であるDNAには、人を殺してはいけないという情報は存在しない。
だから、人が人を殺してはいけないというのは後から人が作ったものだ。
宗教であったり、法律であったりが、それに該当する。
これらの宗教や法律は、複数の人が集まり共同体、社会を作っていく上での決まり事だ。
誰彼構わず人を殺してしまったら、共同体、社会としての利益を損なうからね。
もちろん、自分が殺されたくは無いというのもあるだろう。
それはDNAとして、生きたいというプログラミングから生まれたことだが、それと人を殺してはいけないというのは、相反しない。
むしろ、自分が生き残るために人を殺すことは正当化されてしまう。
だから、人を殺すんだよ。
戦争についても同様だ。
戦争は共同体と共同体のぶつかり合いとも言える。
お互いの利益が相反するため、相手の生命を奪うことで、相手の利益を奪う行為だ。
これは殺意に基づく殺人とはやはり異なる。
特に命令を出す権力者にとっては、むしろ殺意なんて存在しないことの方が多いだろうね。
美味しいワインを飲みたいから、誰かに命令して美味しいワインを奪ってこいって話だから。
その過程で、誰かが死んだとしても、権力者にとっては痛くも痒くも無い。
だって、自分は美味しいワインが飲めるし、DNAとしての生存本能も満たされているのだから。
いつだって割りを食うのは末端。
それは国家だろうが、会社だろうが、どんな共同体でも発生する。
弱者が虐げられるというのは、DNAの生存本能的には正しい行いだしね。
最近では弱者救済なんて名目で、いろいろなことが活動があるけれど、実際に少数の弱者が救済はされている事実はあるけど、中には強者が弱者を食い物にしているだけというケースも多い。
だってそうだろう。
弱者に手を差し伸べて、弱者が必死に生きようとしている傍らで、弱者には手が出せない高級な美味しいワインを飲んでいるんだから。
とても滑稽な絵面だけど、それが現実。
