陰謀論にハマる理由

投稿者: | 2025年7月4日

思ったことをつらつらと。

それは人が知らないことを知ったことで、自身の自尊心を確保できるからではないか?

と思ったりした。

だから、それを否定されると自尊心が傷つくため、認めたがらない。

その根底には、おそらくであるが、無知に対するコンプレックスがあるのではないだろうか?

つまり、無知であることが怖いという話。

または、無知であることを理由に蔑まされたり、いじめられたりしたことによって、無知に対する忌避感があるのかもしれない。

知識というものは、時代とともに変化していく。

また、新しい情報が増えていき、世界が開拓されていく。

それによって、自分が正しいと思っていた情報が間違いであった、または間違いになることもある。

「神はサイコロを振らない」は、かの天才物理学者 アルベルト・アインシュタインが述べた言葉だ。

量子力学の確率論的な解釈に対して述べた言葉とされているが、現代においては確率的な解釈が正しい(正確に言えば、確率的な結果しか得られていないという感じ)。

つまり、天才においても、思い込みや固定観念によって考えを誤ることがあるのだ。

大切なことは、否定的な意見が出た時に、それに耳を傾けることではないだろうか。

お互いに対話することではないだろうか。

相手の意見を一度受け入れてみることではないだろうか。

その結果、自分が無知であったことを認識するかもしれない。

しかし、人間はすべてのことを知ることはできない。

知らないことの方が圧倒的に多いのだ。

宇宙における地球のごとく、1人の人間が知っていることなどほんのわずかなのだ。

だから、無知であることは、当たり前であり、誰しもが無知なのである。

アリストテレスは「無知の知」ではないけれど、自分は無知であることをまず認識することが肝要ではないか。

自分が無知であることを認識できれば、陰謀論に対して正しく向き合えるし、たとえ陰謀論を一度信じてしまったとしても、他者の意見を聞くことで、陰謀論の間違いに気づくことができると個人的には考えている。

自身が無知である恐怖というのは、結局のところ、誰かと比較し、相対的に自分が上である、優位であることを示したいということだ。

そしてそれは、生物としての生存本能に近い部分にある。

だから、誰しもが持ってしまう、誰しもが陥ってしまうことなのだ。

そのことをまず認識すれば、道を違えることはないように思う。


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