物質が存在していると考えるのと、精神が存在していると考えるのは、どちらもあまり変わらない

投稿者: | 2025年6月20日

先日読んだ本で、精神よりも物質的なものを第一とみなす考え方、つまり物質観にとらわれ、物質は、世界は存在しないみたいな考え方があって、思ったことをつらつらと。

そもそもは、目を瞑ったら世界は見えなくなって、存在しなくなる的な話があって、人間は世界に、物質にとらわれているみたいな。

それは西洋的な考え方で、もっと人間の内面に重きをおく東洋的な考え方が重要だみたいな。

で、思ったのだけれど、物質は存在しないかもしれないと言うのであれば、なぜ精神は存在すると言えるのか?

個人的に精神が存在する証明ってかなり難しい気がしているのだけれど、そのあたりをどう考えているのだろうなとは思った。

個人的には、物質も精神もどちらも等価ではないか?なと。

物質の方が証明しやすいから、発展していっただけで、精神は未だにわからないことが多い。

というか、世界もだけど。

さらに言えば、人間の脳も物質だし、シナプスもホルモンも物質だ。

精神だけ別次元に存在するというのは、ありえなくはないけど、現状証明しようがない。

というか、精神は別次元のものだと思いたいだけなのでは?と思ってしまったりした。

個人的には、それこそ無明なのではないかなと。

精神は別だ、崇高なものだと考えること自体が、どうなんだろう的な。

なんとなく、物質世界より精神世界の方が重要だということを言いたいのだろうなとも思いつつ。

ただ、個人的に、精神はもっとソリッドで冷たいと思っていて、ただそれが現状では解明されていないだけという感覚。

また、他者が本当に思考しているのかはわからない。

自分以外が全員ロボットでAIである可能性をサクッと否定できないんじゃないかなと。

つまり、物質が存在していると考えるのと、精神が存在していると考えるのは、どちらもあまり変わらないのではないか。

結局、自分が知覚できる世界はある程度存在を確認できるけれど、ある一定距離を超えると、それが本当に存在しているかはわからんという話。

まあ、科学においては再現性によってそれを担保しているけど、じゃあ精神についてはどうなのか?

まだまだ未解明な部分が多いんじゃないだろうか。

そんなことを思ったりした。