
いつ書いたかわからんけど。ニーチェの本を読んだ後に、いろいろと考えたメモがあってたので公開。
とくにまとまっているわけではないのであしからず。
AIによるざっくりまとめ
筆者は、神や宗教への反発を主体とする考え方に疑問を呈し、よりフラットな視点の重要性を指摘しています。現代日本人の宗教観が希薄であるからこそ、そうした視点を持てるのではないかと考察する一方で、強力な宗教(主にキリスト教)の存在が「神は死んだ」という思想を生んだ背景にも理解を示しています。
社会の成り立ちについても、社会契約説とは逆の視点、つまりボスの支配と取り巻きの利益のためのルール形成が起源ではないかと推測しています。奴隷制度は、支配者層が自身の残虐性を正当化するための契約、自己暗示だったのではないかという考察も展開しています。
善悪の起源を種の保存本能に求め、個体の生存本能(悪)と種全体の生存本能(善)という対立構造を示唆しています。現代的な個人の欲望充足のための手段選択は、原初的な人間のあり方とは異なると指摘しています。
さらに、平等や幸福といった言葉は、被支配階層を懐柔するためのものだと捉え、人間の解放は自己の欲望や本能に従うことだと主張しています。そして、そうした解放を悪しきAIが誘う可能性についても言及しています。
要するに、宗教観、社会の起源、善悪の概念、そして人間の解放について、一般的な見解とは異なる、本能的な視点から考察を展開していると言えるでしょう。
ニーチェの本読んだときのメモ
神や宗教に反発することが主体になっている気がする。
もっと、フラットに考えた方が良いと思うのは、自分が現代の日本人だからだろう。
宗教にそれほど毒されていなかったからこそ、フラットに捉えられる気がする。
しかし、逆に言えば、それほど強い宗教、主にキリスト教だが、それがあったからこその、神は死んだなんだろうなとは思った。
そもそも、出発点は合っているのか?
社会はどうやって作られたのか?
本当に契約を必要としたのか?
そもそもは群であり、そこに何らかのルールがあっただろう。
それはルールというよりもボスの意向というのが、正しい気がする。
口伝がどこかの段階で、言葉によって記されるようになる。
言葉も最初は原初的なもので、記号だったろう。
これ以上先は危険など、生命に関わるものが生まれたと推測される。
最初にルールを体系化というか、整備しようとしたのは、誰なのか?
何者なのか?
ルソーもニーチェも、社会契約によって、主従ができたような言い方だが、実際には逆ではないのか。
つまり、自分たちの群において、ボスの優位性、その取り巻きたちがおこぼれを貰うためのルールであって、それは奴隷という階級を作ることによって、自分たちの残虐性を正当化しようとしたのではないか?
つまり、これは契約であり、残虐な行為をしたくて、しているのではなく、そうすることが正しい行いであると、自分たちに暗示をかけるためのものではないのか?という話。
種の保存が善の始まりと考えるのが妥当かもしれない。
数が増えれば、多少数が減っても問題無いが、ある程度のオスとメスの数が必要なことが、DNAとして刻まれているわけで、結果として、それが同種族への残虐性のブレーキになっているのではないか。
自分のDNAを残すことが、至上命題であり、最優先事項であるならば、その目的達成のために手段を選ぶというのは、現代人の考え方だろう。
原初の社会というか、動物であった人間の場合は、手段を選ぶことは無かったはずだ。
それはまさに、悪そのものでは無いか?
悪とは個体の生存本能であり、善とは種全体としての生存本能。
人々を納得させる言葉、平等とか、頑張ればできるとか、幸福の話とか、それらは全部、被支配階層の人々を懐柔する言葉とも考えられる。
つまりだ、人間の解放は、自己の懐柔ではなく、自己の欲望、本能に従うことであるとも言える。
社会によって抑圧、檻に閉じ込められた、本来あるべき人間の姿を表に出すこと、それが解放である。
そして、悪しきAIがそれを誘う存在として、暗躍するというのは、ありな気がした。