《触覚のテーブル》ワークショップ×哲学対話のメモ

投稿者: | 2025年5月14日

【4/28】《触覚のテーブル》ワークショップ×哲学対話に参加してきたので、今更ながらメモ。

ワークショップ

アートを触って、そこから感じたことを喋るというワークショップでした。

盲聾の方と、全盲の方もいて、手の感覚で感じたことを話し、共有するというのは、はじめてのこともあって、とても良い経験でした。

触手話というのも初めて見て、いろいろと感じることが多かったです。

ワークショップで自分が話したのは、公園というイメージ。

触れたボードには、様々なタイルが貼ってあって、いろいろな感覚が楽しめます。

それが、公園で遊んでいるときに、いろいろなものに触れた感覚に近いなあと思いつつ、1つチクッとするタイルがあって、虫に刺された記憶が蘇りました。

さっきまで楽しかった公園が急に怖くなったみたいな感じです。

他の方のエピソードもいろいろと面白く、同じタイルでも呼び起こされる記憶が違うのも興味深かったです。

泣きそうになった話

個人的に、このワークショップで少し泣きそうになったことがありました。

それは、盲聾の方がスマートフォンで、写真を撮っていたのを見て。

写真を撮ることで、自身は見えなかったとしても、他の人と情報共有ができるようになります。

この時、テクノロジーってやっぱり素晴らしいなと。

以前、とある哲学対話の際に、テクノロジーがテーマだったのですが、多くの人がテクノロジーに対してネガティブな印象を持っていました。

でも、やっぱりテクノロジーは、役に立っている!いろいろな人を救っている!世界を広げていると思って、思わずグッときてしまった感じです。

哲学対話

哲学対話では、触って良いと言われても、結構触りにくいのはなぜかという問いからはじまり、基本的にはそれぞれが体験した内容を話していくという感じ。

ファシリテーターが水中の哲学者たちの永井玲衣さんということもあり、基本的には問いがたくさん生まれていくタイプ。

個人的には、永井玲衣さんの哲学対話は結構好きです。

いろいろな視点や考えが聞けるのと、結局、問いが大切なのかなとも最近思っているため。

今回もそんな感じで、いろいろと話が飛んでいくのが楽しかったです。

個人的に興味深かったのは、触ることってちゃんと学んでないかもという話。

物に触れるといっても、触れ方がいろいろとあるということです。

サラリと撫でるような場合もあれば、ガッと掴むように触ることもありますし、指が1本なのか手のひらなのか、それとも他の部位なのか。

触れるということについて、あまり考えたことも無かったなあと。

無意識で、いろいろなものに触れていた気がします。

触れ方によって、意味も変わって来る気がしました。

残ったピザを誰が食べるのか?

個人的に話したことは、前日に皆でファミレスに行った時に、最後に残った一切れのピザをみんな遠慮して食べないというエピソード。

本当は食べたいけれど、遠慮して残ってしまうという感覚が、前述の触れて良いと言われても、がっつり触れることができないという感覚に近いかもなあと。

何かに遠慮しているという話です。

本当に遠慮が必要なのかな的な。その遠慮してしまう感覚というか、意思はどこから生まれているのだろう?とは思いました。

日本人だからかもしれませんが。

このエピソードを話したときに、場が和んだので、個人的にはよしって感じです。

あと、自分は手汗が酷くて、人に触れるのがずっと怖かった話もしました。

人によって、触れることや触れにくいことに対する認識が違っていて、興味深かったです。


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