ああ、そうか、認識して欲しいのか

投稿者: | 2025年5月6日

思ったことをつらつらと。

人を悪く言うのは

人を悪く言うのは、その人に認識して欲しいからなのかもしれないなと。

ふと思った。

その悪口が、酷いものであればあるほど、その人に認識して欲しいという思いが強いのかもしれない。

濡れ衣を着せるほど、強く認識して欲しいというのは、流石にやりすぎだと思うけれど。

どうでも良い人間になることが怖い

わからないけれど、一番怖いのは、もしかすると、その人にどうでも良い人間として、認識されなくなることなのかもしれない。

だから、認識して欲しいと願う。

理想的には良く認識してほしいのだが、それが叶わなければ、悪い認識でも認識されないよりはマシということ。

いろいろと嫌がらせを受けてきた

人生において、自分は結構嫌がらせを受けてきました。

本当にびっくりするほどに。

で、自分がその相手に対して何かをしているなら、自分に問題があるのですが、基本、何もしてないんですよね。

むしろ眼中にない。

嫌がらせをされて初めて気づくことも多いです。

たぶん、自分から金をだまし取ろうとしたのも、そうなんだろうなと。

金をだまし取る行為で、認識してほしかったのだろうとも思える。

あくまで、良い方向に解釈した場合だけど。

単純に悪意があってすることもあると思うので。

それにしても、人に濡れ衣を着せるほどの強い悪意って、どれほどのものなのだろうなとも思う。


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