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評価・レビュー
☆4/5
人間の心理を進化生物学の観点から考えていく進化心理学に基づいて、人の感情について解き明かしていくという本。
人類史、または推測される歴史から、人間の心理の誕生やその効果について考察していくものなので、少し哲学的な感じに近いところもあります。
このような試みは個人的に大切だと思っていて、単純に電気信号的に、機会的に感情の仕組みのアプローチよりも、頭に入って来やすいかなと思いました。
感情について考えるきっかけとして良い本です。
以下、本文を引用しつつ、個人的な考えなどのメモです。
人間は無意識に感情を解釈している
認知とは、思考、学習、記憶、解釈、知覚、判断などの、心の働きの総称で、かつては理性の働きとされていたものです。とくに解釈は、意識的な理性の特権のように思われていたのが、じつは、無意識のうちにも解釈に相当する働きがなされていたのです。 「じぶんの感情が形成されるときには、自ら解釈をしているよ」と自覚する人は、まずいないでしょう。にもかかわらず、この解釈が無意識のうちに進行しているのです。そして、その解釈の結果だけが意識にのぼるのです。
ニーチェやフロイトが言う「エス」みたいな感じだなと思いました。
考えるよりも先に感情が生まれると個人的には解釈。
ある意味、感情とは反応に近いところがあるのだろうなと。
個人的にですが、感情とは「未来予測と現在の差分で発露するもの」ではないかと考えていて、この差分を感知しているのが無意識なのだろうと思っています。
というか、もう少し考えを推し進めて見ると、何かしらのギャップが発生し、それを意識に伝えているというのが正しいのかなと。
感覚的には、電位差みたいな印象。電位差が発生するとそれを察知して警告するみたいな。
感情の高まりで能力アップ
感情が高ぶっていると、記憶や学習の効果が向上することが知られています。
これは面白い話だなと。
何かマンガとかアニメとかで、主人公の感情が高ぶることで能力を開花させることがありますよね。
それは実際にそうだという話。
感情の限界に上限が無いとしたら、人間の能力の限界も無いのかもしれません。
というのは、ちょっと大げさかもしれませんが、仕事にしろ遊びにしろ、何かに取り組むときは、感情を高めることが大事ということかなと。
平等という考え方
「山分け主義」は、たぶん「草原由来の野生の心」に端を発します。狩猟採集時代の人間に、平和な協力集団が生まれる過程で進化した、重要な心の働きです。
詳しくは本書を読んでいただくとして、山分け主義が集団が生まれる過程で進化したという考察は、興味深いなと思いました。
個人的にですが、山分け主義というか、それぞれの個体に対して均等に利益を配分する、つまり平等に近い考え方は、そもそも生物に備わっている機能なのかなと考えているからです。
機能としたのは、考えているわけではなくて、機械の歯車的なイメージを持っているため。
例えば、アリ。そこには集団としての活動はありますが、それ以上でもそれ以下でもありません。
そこには山分け主義も無いし、個体が自分だけ得をしようというような考えも無いでしょう。
なので、機能なわけです。
ただ、差別されるようなことも無いですし、種としての保存が優先されるというか、これも結果的にそうなっている感じなのかなと思います。
端的に言えば、DNAを残す仕組みということです。
で、山分け主義についても、元来DNAの仕組みの1つとして存在していて、それが発現し、人間が意味づけしたというのが個人的な感覚。
というのも、平等を突き詰めて言った時、そこに個体差がありすぎると、どうやっても平等にはならないからです。
で、結果として前述したアリのような社会になるんじゃないかなと。
没個人と言っても良いかもしれないですね。
このあたりは、もう少し深く考えてみたいなと個人的に思いました。
平和への道
不当な怒りだと思っても相手を糾弾するのではなく、怒りの源にある相手の誤解をとくのが、平和への道です。
最近は、第三次世界大戦が起きるのでは?という不安が、世界中に広がっています。
平和な世界とは程遠い状態と言えるでしょう。
その根源には何があるのか?
個人的には、戦争というのは縄張り争いであって、縄張りを争うのはDNAに刻まれた本能に近いものだと考えています。
縄張り意識の強い動物は、自分の縄張りを侵されると、縄張りを侵した動物に対して威嚇し、攻撃するのが本能です。
で、その延長上に、戦争があるというのが個人的な見解です。
縄張りを侵されたときに発現する感情が怒り。そして、その怒りに対して怒りで反発すると、泥沼になってしまうのかなと。
まずはお互いに冷静になって、怒りの源について考える時間を作るのが良いように思いました。
単純に自分たちの利益の話ではなく、さらにもっと根源的な、根っこにある部分について話し合うということです。
愛情を持つ個体が生き残った
愛情の遺伝情報が子育てを促進するので、その遺伝情報をもつ個体の子孫をより多く生き残らせます。その結果、いま生き残っている私たちのほとんどが、愛情という感情をもっている、なります。
これはとても興味深い話だと思いました。
必要とされないというか、生き残ることができない感情を持つ個体は減っていくというのは、2つの視点があるかなと。
1つ目は、もしかすると過去には今は存在しない感情があったのかもしれないということです。
なかなか想像することが難しいですが、極端な例で言えば、人から物を奪うことで発現する感情なんてものもあったのかもしれません。名前はつけづらいですが。
で、そのような感情を持つ個体は、集団で生きていくことが難しく、集団の中で粛清されたり、集団から弾かれたりして、結果残らなかったということ。
新しい感情について考えるのは、結構面白いかもしれません。
2つ目は、これから先に淘汰される感情があるんだろうなという話。
近視眼的というか、短期的なスパンでは、感情の淘汰を感じることができないかなと。
人間の寿命が80年とすると、スパンとして感情の淘汰に最低でも千年かかりそうな気もします。
で、SFとかで愛情を持たない異星人とか、未来人とか出てきますけど、それは進化の末に捨てられたのではなくて、淘汰されたと考えると見方が変わるなあと。
今後人類社会に何か大きなインパクトがあって、逆に新しい感情が生まれたりすることもあるかもしれませんね。
食べ過ぎちゃうのはDNAのせい!
私たちには、長期的な食べすぎを抑制する遺伝情報が備わっていない、という点です。
今後食べすぎたときには、DNAが悪いことにしようかなと思いました(笑)
一方で、人間はダイエットすることで痩せることもできますし、食べる量を制限することもできます。
つまり、DNAに抗う、打ち勝つこともできるわけです。
そういう意味では、人間の理性というのは、非常に強い力を持っている気がします。
男女の傾向はどうしてもある
どの国の男性も、配偶者が性的関係で不貞をはたらくことを、女性よりも気にすることが示されています。
どの国の女性も、配偶者が浮気心理をいだくことを、男性よりも気にすることが示されています。
現在では男女の差というものを無くそうという流れです。
しかし、設計図であるDNAという観点で見ると、やはり男女においてある程度の差というか、傾向はあるんだろうなと思います。
これはその一例かなと。
というのも、教育によって教えられた情報ではないからです。
不貞にしても浮気心理にしても、悪いというのが多くの人の共通認識なのかなと。
ただ、どちらをより気にするかは、どこかで習った記憶は無いです。てか、学校で教えてもらいましったけ?
大学などの心理学とかでは学んだかもしれないですけど。
こういう傾向があることをまずは認識し、その上で、どうすべきか?を考えるのが、個人的には大切なんじゃないかなと。
身体的な面というのは、目で見てわかりやすいですし、数値化もしやすいです。
男女完全平等を唱えるのであれば、オリンピックやスポーツ競技において、男女混合にすべきでしょう。
しかし、それは現実的ではないことが、近年明らかになっています。
というか、元々わかっていたことですが、男女平等を掲げる一部の活動家の人たちが、その事実を認めたくなかった、認めてしまうと男女平等という理念が破壊されてしまうという不安があったのかもしれません。
結果、スポーツ業界ではトランスジェンダーに関することが度々話題になっています。
じゃあ、心に関することについてはどうかというと、ほとんど語られることがありません。
もちろん、男性は〜とか、女性は〜という意見はありますが、それが数値的なもので示されることはあまりないのかなと。
脳の解明が進めば、数値化できることも増える気がしますが、現状では統計データに頼るしかないのかなとも思います。
で、それらの統計データから男女の差をある程度把握し、その上で個体差を加味し、平等について考えていくのが、最初のスタートラインなのかなとも思いました。
感情と時間の関係
同じ肯定的感情でも、「楽しい」は比較的長く持続する感情で、「うれしい」は短く興奮した感情のようです。「喜ぶ」という言葉もありますが、「うれしく思う」ことだと考えれば、「うれしい」の仲間に入れられるでしょう。
個人的に感情と時間の関係性についていろいろと考えていて、本書の内容は参考になりました。
具体的には、長期的な未来予測との差分と短期的な未来予測との差分で、発現する感情が異なるということです。
前述したように自分は、感情が未来予測と関係していると思っています。
予測した未来と異なった結果になった時に感情が生まれるという話です。
また、トロッコ問題を時間基軸理論で考えてみるでも書いたのですが、時間的に先のことというのは、人間は軽視しがちな傾向があると思っています。
なので、時間概念と感情はかなり密接な繋がりがありそうだなと。
超常現象を信じてしまいがちな人
こうした超常信奉が高い人々を調査すると、自尊心が弱く、落ちこみやすく、不安が強いという特徴があることが、たびたび明らかになっています。じぶんを信じられない人が超常信奉に頼っている様子がわかります。
これはまた面白い考察だと思いました。
自分を信じることができないから、他に信じるものを求め、その1つが超常現象という感じでしょうか。
宗教などもその1つと言えそうです。
不可思議な出来事というのは、個人的に興味を持ちますし、好きな話でもあります。
ただ、どちらかというとその解明に興味があるという感じですが。
信じるか信じないかは、解明してからというスタンスです。それまでは、フラットという感じ。
人は人を憎むように設計されている
よく「罪を憎んで人を憎まず」と耳にしますが、人間が「人を憎む」ようにできていることに対する警鐘です。
心に留めておきたい言葉。
DNAによって設計され、それに従うこともできますが、前述のダイエットのように、理性によって制御することも可能です。
大切なのは、自分の感情をちゃんとコントロールすることかなと。
ただ、一方で、感情の爆発というのは、悪いように見えて、良いことも生み出します。
例えば芸術の世界なんかはそうですよね。また、感情によって人間の能力がアップすることもわかっていると本書で書かれています。
つまり、感情のコントロールとは、感情を制御することで、感情を抑えることではないのかなと。
まあ、その制御が難しいんですが。
ずっと幸福ではいられない?
衣食住が満たされるレベルになると、金銭面は幸福感の向上に寄与しないのでしょう。
これらの調査データは、幸福感が相対的であることを示しています。周りの人々にくらべてどの程度じぶんは肯定的状態にあるのか、数年前にくらべてどの程度じぶんの生活は向上しているかと、なんらかの基準に比較して幸福を認知しているようなのです。ですから、「幸福で幸福でしかたがない」などという感じが何年も続くという事態は、とうていなさそうです。
本書では幸福は相対的であるとしています。
確かにそれはそうかなと。
ただ、考え方によって、ずっと幸福でいることもできるのではないか?と個人的には思いました。
もちろん、常時幸福感を感じるというのは無理です。
けれども、過去と比べて幸福かどうか?というのは、考え方次第ではないかなと。
歳を取ると人間はあらゆる能力が落ちていきます。
なので、過去と比較すると、基本的にはどんどん幸福が下がっていく可能性が高いです。
能力の低下に対して、それを補完する何かを求めてしまうように思います。それが権力だったり、名誉だったりするのかなとか。
で、ちょっと話を戻して、幸福が相対的であることを前提とするならば、比較する対象を変えてあげれば、ずっと幸福を感じることができるのではないかなと。
例えば、成長という観点で考えてみると、歳を取っても成長は可能です。
全体的な能力が下がっていたとしても、成長は感じることができます。
つまり、成長にフォーカスし続ければ、ずっと幸福でいられるのではないかなという話。
また、比較する対象の時期を、例えば昨日と比べてにすると、能力低下を感じることがほぼありませんから、成長をより実感できるのではないかなと思います。
で、成長をどう感じるのか?という話ですが、一番わかりやすいのは知識なのかなと。
昨日よりもちょっと賢くなった気がすれば、それで成長を感じることができるのではないかということです。
知識という点では、例えば本を読むというのが一番良い気がしました。
もちろんYoutubeとかでも良いんですけど、これは個人的な感覚ですが、Youtubeの動画とかってニュースに近い感じで、頭の中を流れていくだけのことが多いんですよね。
だから本が良いのかなとか。
まあ、これは個人的な感覚なので、人によって違うかもしれません。
ふと思ったのは、一番良いのは毎日アウトプットすることなのかもしれないなと。
今、こうしてブログを書いている時も新しい考えや気付きがあったりして、自分自身で成長しているような気がしています。実際に成長しているかどうかは別として。
なので、毎日アウトプットすることが、もしかすると幸福の鍵なのかも。
別にブログじゃなくても、人に話すこともアウトプットだと思います。
コミュニケーションが重要と言われるのも、それが理由かもしれません。
単純に会話ではなくて、自分の考えを話すこと、人と対話することが重要なのかも。
このあたりは、先日参加した哲学対話の影響もあるかなと思いました。
という感じで、いろいろと考えるきっかけになった良書だと思います。