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評価・レビュー
☆4/5
日本の音楽プロデューサー・作詞家・コラムニスト・ラジオパーソナリティと、様々な肩書を持つジェーン・スー氏のエッセイ集。
2016年出版ということで、今の情勢とは違ってきているところはあるものの、独身子なし40代になった著者の自虐や葛藤、そして自分自身を受け入れていく様が、赤裸々に、そして独特のセンスで綴らていて、その本質的な部分というのは核心を得ている気がしました。
「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」というタイトルに惹かれて購入したのですが、内容として外向きではなくて、自分自身への問いなので、世相をぶった切るという感じではないのであしからず。
といっても、自分自身のことを言いながら、同じ世代や同じ境遇の人へ向けられた内容でもあるので、同年代の方は心に刺さるものがある気がします。
2024年現在、ジェーン・スー氏は51歳ということで、近い年齢の方だと、懐かしさというのも感じれるかもしれません。
ジェーン・スー氏が好きならおすすめ。あと、同世代の方も共感できる部分は多いと思います。
以下は本文から引用しつつ、個人的なメモ。
不快なものをどんどん切り捨ててきた独身者
不快なものをどんどん切り捨ててきた独身者は、挙句に陸の孤島で孤独を嚙みしめることになる。
これは身にしみる言葉だなあと。
独身生活をしていると気が楽で、緊張感がどんどんなくなっていきます。
それはそれで非常に快適ではあるのですが、それは快を集めたのではなくて、不快を切り捨てたという言葉は言いえて妙。
というのも、完璧な人間なんて存在しないわけで、人間関係で言えば、どうやっても不快な点ってあると思うんですよね。
そんなときに、その不快を受け入れるのか、それともバッサリ切るのか。そこが分水嶺なのかもしれません。
極論かもしれませんが、人間関係や社会生活というのは、不快を受け入れることなのかなとか。
無駄遣いの良いところ
無駄遣いの良いところは、自分に不必要な贅沢がハッキリ見えるようになること。体験しないうちは、どれもが素晴らしいものに見えたままです。
これも個人的にわかるなあと思いました。
ある程度歳を取ってくると、いろいろと必要、不必要というのがわかっては来ますが、それも若いときの経験が結構あるようなあと。
自分は20代の頃に英会話教室に通っていましたが、いろいろとあって断念しました。
一括払いしかなくて、かなりの金額を前払いしたのですが、本当に失敗だったなあと。
それ以来、その手のサービスは結構警戒するようになりました。
可愛さ格差が生む大人からの扱い
可愛さ格差が生む大人からの扱いと、享受する好機の差に愕然とした「そこまではかわいくない女児」たち、たとえば私などは、幼児期に親以外からの扱いで自己を肯定するのがとても難しかった。
世間ではルッキズムとか、いろいろと言われて久しいですが、この「可愛さ格差」はどうやっても存在し続けるものだよなあと。
差別用語を禁止したら差別が無くなるわけではないことは、誰しもがわかっていることだと思います。
けれど、世の中的には差別用語を無くしたら、差別が無くなった社会と認識されるんですよね。
この「可愛さ格差」というのも、ルッキズムなどによって表向き無くなっていくのでしょうか、人間の根底には残り続けるだろうなあと。
で、そうやって蓋をすることが本当に正しいことなのか。。。
そして、本書で述べられているのは、「可愛さ格差が生む大人からの扱い」という、さらに本質をえぐった言葉。
大人同士は外見などについて言わないことで、表向き平和な世界を作ることができますが、子どもの世界というのは、そうはいきません。
子どもというのは、大人の感覚を敏感に受け取ります。言葉に出さなくても、感じるわけです。
そして、子どもを可愛がるというのは、間違った行為ではないですし、そこに格差があると指摘するのも難しさがあるかなと。
たぶん、この問題は、受け手の子どもにしか理解できない気もします。
大人は表向き平等に扱っているつもりでも、子どもって結構しっかり見ているので。
そういう大人の行動を見て子どもは育っていくわけで、そうなると人間の根底に存在する差別的な考え方は無くならないんだろうなあと。
子どもたちを平等に育てるとなったら、ロボットとかに全部任せるとか、そんな世界線になりそうな気がして、それはそれでディストピアだし、なんかいろいろと根深さを感じました。
あいまいな空気を他者との間に漂わせたままにできる強さ
隙のある状態に耐えられる能力は、あいまいな空気を他者との間に漂わせたままにできる強さです。一見主体性のない女の子の方が、強気な女よりずっと強いと思うことがあるのは、己を漂わせる強さを彼女たちが持っているからです。
本書では隙のある女性という話から、この文章に繋がっていくのですが、個人的に「あいまいな空気を他者との間に漂わせたままにできる強さ」というのは、感じるところがあるなあと。
個人的にも、あいまいな空気って苦手なところがあって、白黒つけたがる傾向があるのですが、本当は白黒つけない方が良いことも多いんですよね。
あと、結構主導権を取りたがるタイプでもあるので、そこも良いときもあれば悪いときもあるなあと。
この後、
周囲から強いと思われている人は、大抵とんでもなく弱い。
という文章が続いていて、これも非常によくわかります。
自分も結構しっかりしているように思われることが多かったり、失敗しても新しいことにどんどん挑戦したりすることがあって、強いと思われることが多いですが、メンタルは弱々です。
そういう弱さを隠すために、いろいろとやって虚勢をはっているところはあるんだろうなと自分では思っています。
粉チーズは罪な食べ物で、それ単体では食べられない
粉チーズは罪な食べ物で、それ単体では食べられない。粉チーズは罪な食べ物で、それ単体では食べられないのですよ。
大事なので二回言いました的な。思わず爆笑してしまいました。
こういう感じのセンスの良い言い回しが、時々出てきて、単調になりがちなエッセイにアクセントがついて、続きを読みたくなる本でした。
びっくりの脱法使用
便利なことに、「びっくり」や「驚いた」の前後に否定的な文をつなげると、驚きとともに非難めいた意図を伝えることができるのです。私はこれを、「びっくりの脱法使用」と呼びたい。
この着眼点も興味ふかいです。
「びっくりの脱法使用」とは、相手を非難するときに、直接非難するのではなくて、驚きを入れることで、非難を少し和らげるという方法です。
言い方にも寄るかとは思いますが、直接的だと角が立つように思えたら、使ってみると良いかもしれません。
ちなみに、自分は本書に倣えば「爆笑の脱法使用」というのを使っています。
爆笑の脱法使用は、誰かが失敗やミスをしたときに爆笑することで、失敗やミスをした人の非難を和らげるというものです。
怒ってしまうと、失敗やミスをした本人や場が萎縮してしまいますし、その後に失敗やミスの対処をしようとしても、ネガティブな感情が強いと再び失敗やミスが発生する可能性が高いからです。
加えてネガティブな感情になっていると、失敗やミスの原因を指摘しても、理解できないことも多々あります。頭の中が失敗やミスのことでいっぱいになっているため。
また、失敗やミスだけでなく、悪いことが起きたときも、なるべく爆笑するようにしています。
アランの幸福論に、
幸福だから笑うのではなく、笑うから幸福なのだ
という言葉があります。
個人的には非常に的を得ている言葉だと思っていて、笑うことでマイナスをプラスにできるんじゃないかなって。
なので、最近は意識して笑うようにしています。
参考 → 意識して笑おう – アラン 幸福論の名言から考える | ネルログ
自尊心を守るために、私が「苦手」を「嫌い」の文脈にスライドさせたもの
いま思えば、私は自分の欠損を認めたくなかっただけなのでしょう。運動自体を無駄と認識し、自尊心を保とうとしていたのかもしれません。自尊心を守るために、私が「苦手」を「嫌い」の文脈にスライドさせたものは、数え切れないほどあります。
これも非常によく分かる言葉だなあと。
歳をとってきて、自分自身いろいろなものを受け入れられるようになってきましたが、若いときは本当に自尊心の塊みたいな人間で、あらゆるものに噛みついていた気がします。
大切なことは、それが本当に苦手なのか、嫌いなのかを改めて考えることなのかもしれません。
一度、苦手や嫌いのボックスに入れてしまったものの中に、実は大切なものがあるかもしれないので。
と、他にもいろいろと面白い表現が多くて、自分の視点とは違った世界観がとても楽しめました。
ちなみに、最後に「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」については、その人が女子でいたい限り、その人は女子だと自分は思っています。