評価・レビュー
☆5/5
トマス・ホッブズによる現代国家論の原点的な著作です。
第一部ということもあって、言葉の定義がメインになっており、最後の結論に至るまでの道程が長く、解説を読まないとわかりにくいかなとは思いました。
ただ、世界や人間の姿の捉え方という点では、単体でも非常に面白い本です。
一応、結論的なところは、「自然状態に置かれると人は、万人が万人を敵とする闘争に陥る」というもの。
以下は、本文から引用しつつ、個人的なメモです。
個人的メモ
言葉の第一の効用は
名称を正しく定義することにあると言える。
名称を正しく定義するということは、
学問を身につけるということにほかならない。
序盤でこのように書かれていることもあって、大半の部分が言葉の定義について書かれています。
言葉は主に人間に関すること。感情とか行動などについて、1つ1つ定義しており、その解釈自体に納得できるものが多いです。
この定義を読むだけでも、結構面白かったです。
言葉は、賢者にとって計数機である。
賢者は言葉を用いて計算しているにすぎない。
ところが愚者は、言葉をむやみにありがたがる。
彼らは、アリストテレスやキケロ、トマス・アクィナスの権威があれば
──いや、一介の物書きであっても博士と名がつく者の権威があれば、
その言葉を重んじる。
単純に偉い人や素晴らしい人が言った言葉であっても、鵜呑みにしてはいけないという話かなと。
確かに現代においては、知識の深度が昔に比べると格段に深くなっているので、専門分野以外の話って、わからないことが多い気がします。
そして知らないことを知らないと言えない風潮もあったりして、知らないことを隠すために、論点をズラして論破するようなやり方をする人も増えているのかなと。
かといって、すべての情報の裏取りは難しいでしょう。
ネットの情報だって間違っていることがありますし、じゃあ本なら良いかと言えば、本だって間違っていることがあります。
そう考えると、あらゆる情報に対して、一歩引いて見るのが良いのかもしれません。
欲望は、達成できるという見込みをともなうと、「希望」と呼ばれる。
この説明は、なかなかに判断が難しいかなとは思いました。
希望というと、何か光り輝いているものというイメージでしたが、その根底にあるのは欲望と考えると、光の裏に暗い影があるようにも感じてしまいます。
希望という言葉を使って、自身の欲望を達成しようとする人もいるので、希望という言葉自体も一歩引いて見る必要があるのかもしれません。
おのれの感覚を満足させたい一心で異性に思いを抱くのは、「情欲」。
自分がこれだけ愛しているのに、相手は愛してくれないというジレンマから、しばしば事件が起きますよね。
それは愛じゃなくて、情欲なのかもしれないなと思いました。
いにしえの道徳哲学者が
その著作に書いているような、
究極の目的とか至高善とかいったものは、
存在しないからだ。
相対性理論が提唱され、それが証明されたことで、私たちの世界は、絶対的な軸があるわけではなく、相対的であることがわかってきました。
善というのも、まさに絶対善とかはなくて、相対的と考えると、正義の在り処がたくさんあるのも理解できます。
また、目的という点については、究極の目的が無いとすると、我々はどこへ行くのか?という問いに対して、宛のない旅ということになるのかもしれません。
実際には、そんなものなのかもしれないなと。
我々はこの宇宙でたまたま生まれた知的生命体で、たまたま考えるという能力を得たにすぎないということです。
目的が無いと不安になる人もいるのかもしれませんが、目的が無いなら作れば良いんじゃないかなと個人的には思っています。
というか、そもそも究極の目的のような外部からの押しつけは、今の時代とは合わないだろうなとも思いますし。
学問や芸術を追究したいと願う人々は、
共通の権力に従う気になりやすい。
なぜならそのような願望を抱いていると、
得てして閑暇を求めたくなり、
したがって自分以外の何らかの権力によって
保護してもらいたいという気持ちになるからである。
この言葉の前に、「安逸や官能的快楽を求める人々」の話もあって、それらの人々は共通の権力に従いやすいとホッブズは述べています。
それは何となく納得できるのですが、学問や芸術を追究する人々も共通の権力に従いやすいというのは、どういうことなのだろう?と思いました。
が、その後の言葉を読んで納得。
学問や芸術を追究したい人々にとっては、目的が学問や芸術であって、権力争いなどに興味が無いというか、そんなことに時間を費やすこと自体がもったいないということなんだろうなと。
今の日本は自民党がとても強く、一度政権交代があったものの、今後も自民党が当面国政を担いそうです。
どうしてこれほど人気があるのだろうか?という疑問がずっとあったのですが、それなりに生活できて、自分の目的を達成できる状態が続くのであれば、政権交代をする必要性を感じないのだろうなと。
そう考えると、日本はかなり恵まれているのかもしれません。