超訳 ヘッセの言葉 – いったい、どこを歩いてるんだ。そこは他の人の道じゃないか。

投稿者: | 2024年9月4日

評価・レビュー

☆5/5

作家で詩人のヘルマン・ヘッセの書籍から、言葉をピックアップしてまとめた本。

物語や詩の一節のこともあれば、書簡もあり、多岐にわたっているのが特徴です。

何の気無しに読み始めたら、一気に最後まで読んでしまいました。

テーマとしては、

  • 自分自身の道を歩め
  • 悩み悲しみも喜べ
  • わがままに生きよ
  • 人は喜びがなければ生きていけない
  • この世界に愛を増やそう
  • 考えるのをやめてみよう
  • いつでもどこでも幸福になれる

の7つ。

特に繋がりは無いので、気になったところから読んでも良いかなと思います。

哲学的でありながら、やはり詩的でもあって、とても良かったです。

これは元の作品も読みたくなるなあと思いました。

個人的なメモ

本書から引用しつつ、個人的な感想とかメモ。

いったい、どこを歩いてるんだ。そこは他の人の道じゃないか。だから、なんだか歩きにくいだろう。 あなたはあなたの道を歩いていきなさい。そうすれば遠くまで行ける。

最初に収録されている言葉です。

自分の道ではなく他の人の道を歩いているという表現はとても秀逸だなと思いました。

そもそも自分の道とは何なのかと言われると、なかなかに難しいというか、見つけることが大変な気もします。

ただ、それでも、自分が歩きたい、進んでいきたい道でなければ、心の中で歪が生まれてしまうのだろうなと感じました。

昔の自分を振り返るとそんな時期があって、そういう時って、この道が正しいと自分自身を騙そうとしていたと思ます。

本当は他の人の道だったのに。

そういう意味で、今は転びながら、這いつくばりながらですが、自分の道を少しだけ歩めている気がしています。

私も同じだ。お前と同じように幾度も、幾度も斧で刈られた。世間の人から責められ、悩まされた。
それでもなお、オークの樹よ、おまえと同じようにあきらめることなく新芽を生えさせた。こんなに苦しみながらも、この世界にまだ恋しているからだ。

世界や社会に絶望しつつも、世界に恋している言葉によって希望を見出しているという内容ですが、恋という表現の使い方がグッときました。

老人たちよ、非難や文句はもう棄て去りなさい。代わりに、もっとほほ笑みなさい。たあいのない冗談を言いなさい。いつも機嫌よくしていない。しかめっ面で深刻に考えることなどやめなさい。絵を鑑賞するかのように世界を眺めなさい。そして、もう一度ほほ笑みなさい。

老いた人よ。いさぎよく理解されなさい。力がなくとも杖を使って立ち上がり、おまえが今までずっと座っていた席をこころよく若者にゆずりなさい。そして微塵たりとも恐れることなく、粛々と瞼を閉じなさい。

自分ももはや老人たちに入ってくるんだろうなと思いつつ、心に刺さった言葉。

これは個人的に思っていることですが、近年は考え方の移り変わりがとても早く、正直、歳を取った自分はついていくのがとても大変だなと感じています。

歴史を振り返っても、こんなに短期間で社会のスタンダードが変化したことは無いんじゃないかなって。

昭和なんて昔の話のように思えますが、平成と令和を合わせても35年程度です。四半世紀ちょい。

自分が子どもの頃に当たり前だったことが、当たり前ではなくなっていることを考えると、20年程度で社会は大きく変化した気がします。

三つ子の魂百までではないですが、小さい頃の常識って、なかなか拭えないですよね。

だから、政治家などがたまに小さい頃の常識から抜け出せず、失言をして失脚することがあります。

でも、こんな短期間で考え方が変化しているんですから、歳を取った人がついていけないのは当然なのかなって。

だからこそ、そういう時代の変化に対応できる若者たちに道を譲ることが大切なんじゃないかと思っています。

単純に考え方とか常識だけではなく、テクノロジーの進化も圧倒的です。

数年後、AIによって多くの人が職を失うなんてことが言われています。

でも、おそらくですが、現在のAI技術について、ちゃんと理解できている人がいるかというと、おそらく数は少ないでしょう。

AIを昔読んだSFの小説や映画やドラマに出てくるような、得体のしれないものと捉えている人もいるかもしれません。

今のAIはそんなSFとは全然違うものですが、その違いを明確に言える人も少ないかなと思っています。

で、AIやテクノロジーを理解していないこと自体は問題ではなくて、AIやテクノロジーを理解していない人たちが、政治家であったり、経営者であったりすることが、問題だと個人的には考えています。

某企業の案件で、システムトラブルの結果、デスマーチと呼ばれる状態になっていますが、その原因はまさに経営陣のテクノロジーに対する不理解でした。

理解できないことは仕方がありません。

人間ですから、すべてを理解することはできないので。

ただ、理解しようとした時、歳を取っている人と、若者では理解の速度に大きな違いがあります。

スマートフォンなどが普通にある生活を送っている若者の方が、テクノロジーへの理解は圧倒的に早いことは明白です。

であれば、やはり若者に席を譲るのが、時代に即しているんじゃないかなって個人的には思います。

昔はこんなにも変化が激しくなかったので、経験というものの比重が大きく、政治家や経営者が歳を取っていても問題無かったというか、むしろそれらの経験が大切だったので、若者には政治や経営は難しかったでしょう。

しかし、変化の激しい時代になったら、経験よりも新しいものへの理解の比重が高くなっていて、変化に対応できなければ、朽ちていくしかありません。

だからこそ、やはり若者に政治や経営を任せるのが良いんじゃないかなと。

歳を取った人がそれを経験でサポートするような形が、おそらく今の時代にもっとも適しているのではないかと思っています。

同じような言葉として、

たくさんの殺人が横行しています。たとえば、才能を持った若者を彼らに適していない職業に就かせるのも人殺しです。また、面倒だからといって見て見ぬふりをすることも殺人の片棒をかつぐことです。おかしな法律や制度がまかり通ることを傍観するのも人殺しと同じです。自分の生活を守るための冷酷さ、蔑視や無関心も結局は誰かの可能性を殺しているのです。不安な若い人に対してつれない態度や疑い深い態度を示すこともまた、若い人の将来をひねり殺しにしていることなのです。

というのも心に沁みます。

今の若者は〜という前に、若者の才能を潰していないかは改めて自分自身で考えたいと思いました。

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