ボードゲーム長考問題 本質は長考の是非じゃない

投稿者: | 2021年12月7日

ボードゲーム長考問題とは

端的に言えば長考は是か非かという話。ざっくり言えば長考問題とは、

  • 長考はしないほうが良いという派
  • 長考は容認すべきという派

での論争です。

この問題については現在のところ明確な結論が無いように思います。個々人の考えがあるというレベルです。

ということで、個人的に思っていることを書いてみました。

長考問題の本質は長考の是非ではない

まず、長考の問題の本質は長考は有りか無しかではないと個人的に思っています。

いろいろな意見をみていると感じるのですが、長考問題の論争では議論が噛み合っていないことが多いです。

というのも、長考はしないほうが良いという派と長考は容認すべきという派では、それぞれ主張が異なるからです。そこが長考問題に結論が出ないというか、お互いに相容れない状態になっている原因と言えるでしょう。

まず、長考はしないほうが良いという派は、長考によって他者が被るデメリットがあるため長考をしないほうが良いという主張です。他者への配慮が大切という話。

それに対して、長考は容認すべきという派は長考は勝つためにすることで、長考をしない=負けを強制しているという主張です。ゲームの勝敗が大切という話。

この2つの主張について、様々な意見があると思いますが、どちらも正しいと個人的には思っています。

つまり、正しいことと正しいことをぶつけ合っているので、どうやっても結論は出ないのです。

これが意味するところは、長考問題の本質は長考うんぬんではないということ。つまり、論点が間違っていると考えられます。

インタラクションで考える長考問題

ゲームというのはインタラクションが大切と言われています。インタラクションとは様々な定義がありますが、個人的にはインタラクションとは出力に対して、新しい入力を得ることの連鎖だと考えています。

長考では多くの場合、長考している人からの出力が起きない状態です。出力がなければ、他者に入力が行われないため、インタラクションが発生しません。インタラクションが発生しないと結果として人は飽きてしまいます。

これが個人的に感じている長考によって他者が被るデメリットです。

ゲーマーであればあるほど、ボードゲームの沼にハマっていればいるほど、インタラクションの大切さを知っているはずなのですが、長考とインタラクションの関係性については語られることが無いように思います。不思議。

長考自体は悪いことではない

ただ、大前提として長考自体は悪いことではありません。

例えば、将棋のタイトル戦では数時間の長考もザラです。では、その長考を責める人はいるでしょうか?

いませんよね。

どうして長考しているのに責める人がいないのでしょうか?

それは事前に決められたルールに基づいているからです。

長考問題の本質はルールが無いこと

5人で旅行に行くケースを例に考えてみましょう。

そのうち1人が20分遅刻したとします。

あなたはその遅刻者を責めますか?

遅刻した人は

  • 忘れ物をしないようにしっかり入念に確認したために遅れた
  • もし忘れ物をしたら旅行が台無しになるから
  • 遅刻者は自分は他の人が同様に遅刻しても責めない

と主張しました。

この理論は通用するでしょうか?

確かに忘れ物をして旅行が台無しになったら困ります。しかしみんなが関わっているのだから、遅れるなら事前に言うべきですよね。

そうなんです、事前に言えば良い話なのです。

また、事前に遅刻は30分まで容認するというルールを決めておいたらどうでしょうか?

20分遅刻したとしてもルール上は容認される時間内なので、誰も遅刻者を責めることはないでしょう。

解決策:事前に長考の有無を確認する

これは長考でも同じことが言えると思います。

つまり、ゲームを開始する前に長考の有無を確認するということです。

自分はほとんど長考しないのですが、重いゲームをする時は結構長考しないことを話題として出します。また、長考に対しても別に気にしてないこと、長考されているときにタバコ吸いに行ったりすることも言うようにしています。個人的にはマナーかなと思っていますが、そのあたりは人それぞれですね。

ただ、ゲームを開始する前に問題になりそうなことを決めておくことで余計なトラブルや衝突は回避できるのかなと思います。

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