天下無双の武将はなぜ生まれたのか? 尉繚子を読んだ私的考察

投稿者: | 2021年8月19日

恐怖政治ばりの厳しさで兵士を管理

尉繚子は誰が書いたかは定まっていませんが、当時の軍令を含めた軍隊の様子を知るのに一助となるなあと感じました。特に軍令については、結構詳細に書かれていてとても興味深いです。

重刑令の項目以降には軍令に関する内容が書かれており、厳しい軍令によって兵士を動かしていたことがわかります。

例えば逃亡した兵士は重罪。指揮官の場合、先祖の墓を暴くというトコトンぶりです。

また、五人組を採用し連帯責任にすることで、結束力を高めていることもわかりました。

指揮命令系統もしっかりしており、他の部隊との兵士同士の交流は禁じ、部下を罰することができるのは直属の上司のみとしています。

さらに先陣を切ったものは賞され、後陣を拝したものは罰するとまで書かれており、ある意味兵士を恐怖政治で縛っていたと言えそうです。敵をいくら倒しても味方の方が損害が多ければ罰するという規定もありました。

これらの軍令から個人的に感じたのは、

  • 当時の戦争は死人が少なかったのではないか
  • 呂布など天下無双と言われた武将の活躍も納得

という点です。

当時の戦争ではあまり人が死ななかったのではないか

まず、少しでも劣勢になったら兵士は罰せられることが分かっているので、早々に士気が落ちる可能性が高いです。

どういうことかというと、味方の被害が少なければ罰せられないという軍令があるため、とにかく味方の被害を減らそうという意識が高かったのではないかと思います。そして、味方が死なず相手を1人でも倒せば賞与があるということからも、いかに相手を倒すかではなく、いかに味方の損害を減らすかが重要と考えられていたのではないかなと思います。

何せ伍と言われる5人のチームでは相手を3人倒しても味方が4人倒されたら罰せられるわけですから。

ここでふと考えるわけです。序盤で味方が何人か倒されたら、果たしてそのまま戦いを続けるのかなと・・・。普通に考えると罰せられるのか嫌で逃げ出す兵士も多いのでは?と思います。

逃げたら罰則とありますが、果たしてそれをどこまで厳密にやっていたかは、個人的に疑問です。というのも、当時の兵士名簿ってほとんど無いですよね。だから、実際には戦争に負けた時に兵士1人1人に厳罰というのは、ある程度限定された兵士のみだったのではないかなと思います。

限定された兵士というのは、その国の都市に所属する兵士だと考えています。これは将軍も含めてですね。で、それらの兵士が軍隊の中心であって、+αの兵士というのは流動的であった可能性が高いのではないかと個人的に推測しています。具体的には、都市周辺に住んでいる人達です。戦と慣ればそれらの人たちを徴兵して戦ったのではないかなと考えています。

中国の過去の文献を見ると、毎回何十万という兵士が登場して戦に負けています。毎回それだけの兵士が全員死に、軍令通り処罰されていたら、当時の世界人口から考えても、数が計算が合いません。しかし、+αの兵士が流動的であるならば説明がつきます。彼らは罰せられるのを恐れて早々に敗走するからです。そして、兵士名簿がしっかりあるわけではないので、特に罰を受けること無く毎回戦争に参加していたのではないかなあと思います。

呂布などの天下無双と言われた武将の活躍も納得

三国志の呂布に代表される天下無双と言われた武将たち。彼らは一騎当千と言われ、1人で戦局を動かすほどの強さだと言われています。

しかし、よくよく考えてみるとそんなに強い武将って本当にいたのでしょうか?

複数人、それも武器を持っている相手、さらに弓も使ってくるような相手100人に毎回勝てるでしょうか?

しかし、当時の戦争が前述したように味方の被害が出ると一気に士気が下がり敗走するような戦争であれば納得できます。

何せ勇猛な武将が先陣を切って3人倒したとしましょう。だいたい伍でチームを組んでいるのは一緒に行動しますから、伍のチームのうち3人がいきなり倒されたら、もう残りの2人はやる気が一気に下がるでしょう。相手との力差も感じるわけですから、戦意が一気に下がると言えます。

相手を倒さなければ罰せられるという恐怖もありますが、強い将軍は馬に乗っていることが多いですし、歩兵だったら圧倒的に不利。特攻精神で相手に突っ込んでいたという人もいるかもしれませんが、そもそも自らの命を捨てて特攻するような精神状態って相当な状態です。ほぼ宗教に近いでしょう。一部では宗教の反乱がありそういう時には死を物ともしない兵士が出てきますが、それ以外ではそのような描写はほとんどありません。

やはり、多くの兵士は自分の命が大事だと思っていたのではないかなと思います。だから、負けそうならすぐに逃げるというわけです。

ですので、天下無双と言われる武将たちが重宝されたのも頷けますし、一騎打ちで戦が決まることがあるのも納得できます。

また、何十万という軍勢に対して1万の兵士で勝つというのも納得できますね。まさに戦争は数で決まるわけではないという言葉にも頷けます。

兵は詭道なりの別な視点

そう考えると孫子の兵は詭道なりという言葉が身に染みますね。戦わずして勝つと基本とした孫子の兵法も単純に被害が少ない方が良いという考え方もありますが、戦自体水物に近いから、そんなギャンブルはやめようという考え方として捉えることができます。

恐怖政治のような軍令の厳しさで兵士を操る場合、最初は恐怖によって兵士は戦うことを余儀なくされるでしょうが、段々とそれは破綻していきますよね。実際に恐怖政治が現在の政治のあり方のスタンダードではないことからもわかります。

孫武はそれらを見抜いた上で、戦争は下策と考えたのではないかなと改めて思いました。

また呉子は兵士のモチベーションを上げ、兵士からの信頼度を高めることの重要性を挙げています。兵士の膿を吸い出す話は有名で、これは将軍への信奉度を高める行為とも言え、ある意味宗教的と言えるでしょう。

逆に言えば、どれほど軍令を厳しくしても、兵士から信頼されていなければ戦争には勝てないと言えます。

組織運営にも同じことが言える

結局のところ組織運営にも同じことがいえるように思います。

軍令やルールというのは必要。しかし、それで縛り続けても限界が来るというわけです。その解消方法として、現在では変化というキーワードがよく使われているように思います。

この変化をどう捉えるのかが個人的には大切だと思うのですが、現代では

恐怖政治 → 恐怖政治

という形で、ルールは変わったけど、実際に苦しさはそれほど変わらないというケースが多いように思います。

別にルールを緩くすべしというつもりはありません。ただ、孫子にしても呉子にしても、ルールで縛るだけを良しとしていないということです。当然、褒賞という手もありますが、金や物というのはなんだかんだと限界が来きます。それに代わる何かが必要と言えるのではないでしょうか。

個人的に孫武は民の安寧を最重要視しているように感じます。結局、国にしても会社にしても、そこに所属する人たちが安心して暮らせなければ繁栄はないという話。そして、繁栄していれば自ずと軍備も強くなり、結果として敵に攻められることはなく、敵が降伏するということにつながるというわけです。これが戦わずして勝つという意味で、理想的な組織のあり方と言えるのではないでしょうか。