レフト・ビハインドとは
飛行機の機長 レイ(ニコラス・ケイジ)は、自分の誕生日を祝ってくれる予定だった家族を尻目に、浮気兼仕事でフライトしていた。ところが、高度3000フィートの上空で突如乗客の一部が消える事態が発生する。そして、一緒に乗ったはずのパイロットも居なくなっていた。
人間の消失事件は世界中で同時に発生。一体何が起きているのか? そして無事に飛行機の乗客は帰還することができるのか?
2015年作品。
評価
☆3/5
これはとても評価が難しい作品。原作はアメリカで6500万部のベストセラー小説「レフトビハインド」。小説の売上だけ見れば、圧倒的に面白いはずなのですが、一般的評価は完全に真っ二つという感じです。
とりあえず、日本の多くの方はオチが読めないと思いますし、そういう意味では面白い映画なのだと思います。話もわかりやすく進めれていますし、映画としての出来も良いです。
賛否両論になっているのはオチでしょう。このあたりは、ネタバレありで。ネタを知りたくなければ、ネタバレ無しに見た方がいろいろな考え方が見れて面白いと思います。
ネタバレありの感想
本作で意見が大きく分かれているのはオチが聖書の終末という点でしょう。消えた人々というのは神を心から信じている人で神によって終末から救われた(推挙というらしい)という点。
個人的にはオチとしては全然アリかなと思ったのですが、まあ信じる者しか救わない神は心が狭いいう理由で低評価になっているようですね。ですのでキリスト教を信じている方であれば、かなり楽しめる作品なのかなと思います。
逆に他の宗教を信じている方や無宗教の方にとっては、なんだかなあという感想になる作品。
心の狭い神と心の広い神がいる
確かに世界の宗教の中には、別に信じようと信じまいと終末から人類を救ってくれる心の広い神もいますし、キリスト教のように信じた者しか救わない心の狭い神もいます。
また、宗教によっては他の神の存在を認めている宗教もありますし、他の神を一切認めていない宗教もあります。そのせいで過去に多くの血が流されてきました。聖戦が良い例ですね。
あと、この映画のように信じる者しか救われないのであれば、別に他の宗教を信じる人なんてどうでも良い気がするのですが、なぜ虐殺までして改宗させようとしているのかは個人的に理解できません。だって、心から信じなければ救われないことはこの映画の牧師が救われなかったことが物語っていて、無理やり改宗させても意味がないですよね。
まあ、そのあたりは自分にはわからない深い理由があるのだとは思います。
最も嫌らしい悪魔とは
ちょっと話は神から逸れて悪魔の話。もし自分が悪魔だったとしたら、神への冒涜として何が一番効果的かなと考えてみると、やはり神のふりをして人間に崇められることかなと。
当然自分以外の神(悪魔)を信じる宗教は淘汰するように人を信じさせるでしょうね。また悪魔が複数いるのであれば、複数の神になりすまして人間同士を争わせるというのも一興ですね。
何が言いたいかというと、信じている神は本当に神なのか、それとも悪魔なのかを証明する方法が人間には無いという話。とても歯がゆいですね。
神は奇跡を起こすと言うけれど、もし自分が悪魔だったら自分を信じさせるために奇跡を起こすと思います。それがもっとも本当の神に対する冒涜だと思いませんか?
まあ、悪魔の知能が幼稚園児並なら、そんなことはしないと思います。ただ、悪魔の中には元神もいたりするわけで、そう考えると悪魔は愚かだと言うと、ブーメラン方式で神も愚かだと言っているようなものなので、悪魔が愚かだとは口が裂けても言えないでしょう。
信じるだけという堕落
これは個人的にですが、信じれば救われるというのは本当に甘い汁だなあと。信じるだけで良いというのは良い感じに人間を堕落させるものかなと思います。
努力して自分の道を切り開いた人よりも神を信じた人が救われる世界って、人間を甘やかしすぎじゃないですか? 努力して、その上で神を信じている人が救われるというのであれば、すごく納得できるのですが、とりあえず信じておけば救済されるって、めっちゃ楽だなと。
まあ、実際には戒律とかいろいろとあるわけですけど、極論、働かず酒浸りでも終末の直前に心から神を信じれば救われ、毎日遅くまで家族のために働き頑張っているが神を信じてない人は救われない世界って、多くの人が理想としている世界なのでしょうか。というか、神はそういう世界を望んでいるのでしょうか。
もし自分が神だったら、全世界のことがわかるわけで信じている人に加えて、一生懸命努力して頑張っている人も救うと思います。自分は聖人君子ではないので、全員救うという気概は一切無いです。ただ、頑張っている人は救いたいなあと。
皆さんは自分が神だったら誰を救いますか?