映画「響 -HIBIKI-」の最後の方のシーンで、デビュー直前の主人公 天才小説家 鮎喰響(平手友梨奈さん)と小説家 山本春平(小栗旬さん)が話す場面、
山本:僕は小説家だ。十年やって何も結果を残せなかった。誰も幸せにできなかった。
鮎喰:十年やってダメだったら、十一年やればいい。
山本:ずっとそう思ってきた。でも駄作しか生み出せなかった。もう疲れた。君が行かないなら僕が消える。
鮎喰:私も小説書いてる。
山本:子どもの作文と一緒にしないでくれ。
鮎喰:十年やってたなら、あなたの小説を読んで面白いと思った人は少なくともいるわけでしょ。それは私かもしれないし。売れないとか、駄作とか、だから死ぬとか。人が面白いと思った小説に作者の分際で何ケチつけてんの。
というセリフがあります。これはかなりグサリと刺さりました。
今までになかった評価視点
現代は総評論家時代とも言われ、誰でもが作品の評価を付ける時代になりました。誰しもが様々なものを評価し、そして批評する時代です。
映画でも小説でもマンガでも何でもそうですが、面白い作品というのは人によって異なります。当然多くの人に面白いと思われた作品はヒットしますし、そうでない作品は消えていってしまうでしょう。
そして、これらの評価というのは、基本的には作者以外の評価なんですよね。当たり前ですけど。
で、作者自身は外部からの評価に対して、うれしいと表現する人もいれば、自分の作品は駄作だと言う人もいます。
特に自身の作品に対して駄作という人は、自身に対して厳しいのかもしれません。また、そういうことで、新しい何かを得ようとしているのかもしれません。
ただ、「人が面白いと思った小説に作者の分際で何ケチつけてんの。」というのは、ある意味真理を付いているなと思いました。そうなんですよね、作品の評価というのは人それぞれ。そして自分がつまらないと思っても誰かに評価された作品というのは、それだけで価値があると言えます。作品が出来上がった時点で、もはや作者の手を離れていると言っても良いかもしれません。
何かを作ることの大切さ
映画「響 -HIBIKI-」では他にもモノづくりの大切さというのを感じることができるセリフがいくつも出てきます。
クリエイターの方であれば、一度は観ておきたい映画かなと。
映画を観て勇気付けられることもあれば、逆に自信を無くしてしまうかもしれません。
ただ、個人的に本作にはモノづくりにおいてもっとも大切な言葉がありました。それが、
太宰も言ってるでしょ、小説家なら傑作1本書いて死ねって
というセリフ。ここでは小説という言葉ですが、モノづくり全般に言えることかなって個人的には思いました。