Vivy -Fluorite Eye’s Song-とは
Vivy -Fluorite Eye’s Song-は、2021年4月から放送しているAIをテーマにしたオジリナルアニメ。主人公はAI(アンドロイドという表現が良いかも)のVivyと100年後の未来から来たAI Matsumotoが、100年後に起きるAIの反乱を防ぐというお話。
AIに使命を与えることでAIを人間の社会に適用させた世界で、主人公Vivyは歌で人を幸せにするという使命を与えられています。
PV
ざっと雰囲気を知るのであれば、PVを観ていただければと思います。
設定が面白い
個人的にVivy -Fluorite Eye’s Song-が面白いなと思ったのはAIを破壊するAIという設定です。
AIが世界を救うという話はこれまでもあった設定ですが、AIを破壊するAIというのはあまり無かったかなあと。
劇中で主人公が発するセリフなのですが、このセリフを聴いたとき、機動戦士ガンダムUCに出てきたNT-D(ニュータイプデストロイヤー)を思い出しました。ある意味、AIをテーマにした作品も行き着くところまできた感じがしますね。
また、世界観はDetroit: Become Humanというゲームに多少影響を受けているのかなという印象を受けました。
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AIに心は生まれるのか?
Vivy -Fluorite Eye’s Song-のテーマとしてはAIに心は生まれるのか?かなと思います。まだ、全話公開されていませんが、ストーリーの流れとして主人公のVivyは心を込めて歌うにはどうすればよいか?を模索しているためです。
で、本作を見ていたら改めて心って何だろう?って考えさせられました。
そもそも心とは何か?
人間には心があってAIには心が無いというのが一般的な認識なのかなと思います。
ただ、心という定義が曖昧なので実際にはどうなのでしょうね。
これはあくまで個人的な定義なのですが、心とは感情ではないかなと考えています。
感情とはいわゆる喜怒哀楽のことです。
なぜ感情かと言えば、心に関する言葉は感情と紐付いているからです。また、心の話をするときには、必ずと言っていいほど感情の話も出てきます。
心を連続した感情として考えると、多くの動物には心があると言えます。
人の人たらしめるものとは考えること
では、人の人たらしめるものとは何でしょうか?
それは考えることではないか?と個人的に考えています。
感情と考えることの違いは何でしょうか?
感情は反応であり、考えることは自分の意思と個人的に捉えています。
意思とは意味をもたせることと個人的に考えています。つまり、人間は考えることで何かに意味を持たせ、自ら行動する生き物なのです。考えることについては、まだまだ自分の中でも明確にはなっていないので、あくまで仮説です。
AIは自ら考えることができません。あくまで人間によってプログラミングされた範囲内において、最適解を導き出すというロジックで動いています。
ですので、AIはプログラミングされていない領域については、何もすることができません。
このプログラミングという行為は何かに意味をもたせることと言えます。だからこそ人間にしかできないとも言えるのです。
人間は自らの考えで何かに意味を持たせ意思を持って行動する可能です。これは好奇心と結びついているかもしれません。動物にも好奇心はあると思いますが、人間はそれが異常なほど発達しているように思います。
心を込めるというのは意思
Vivy -Fluorite Eye’s Song-で主人公のVivyは心を込めて歌うことを使命としています。この使命は人間が与えた意味なのです。
前述したように感情というのは反応であると書きました。そう考えると、AIにも感情があると言えるかもしれません。あくまで人間が与えたプログラミングの範囲においてです。
今のAIに心が生まれるのか?という議論は、主にこのプログラミングの範囲外の感情が生まれるかどうか?に焦点が集まっています。
ただ個人的にはプログラミングの範囲外に生まれた感情が生まれたとしても、それによって人間に近づいたとは言えないのではないかなと思っています。
先程の述べたように人の人たらしめるものとは考えることだからです。
そういう意味で、Vivy -Fluorite Eye’s Song-では主人公のVivyは、すでに自ら考えることをしているので、人間に近いのかなと思っています。
具体的には、人間に与えられた使命を拡大解釈し、シンギュラリティ計画に意味を持たせ、自ら行動しているためです。
個人的にはこの意味を持たせ自ら行動すること自体を実現するのが一番難しいのではないか?と考えています。
このあたりの研究が進めば、シンギュラリティが起きるのでは?というのが個人的な見解です。正直、いくら計算能力が上がったとしても、AIが人間のようになることはないでしょう。計算能力が上がっても、自ら何かに意味をもたせることができなければ、自ら行動ができないからです。
逆い言えば、そこが実現できたら、AIは人間を超えた次世代の種になるのかなと思います。
Vivy -Fluorite Eye’s Song-を見て、そんなことを考えました。
リンク
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