
先日、友だちというテーマで哲学対話をした時に、自分が思ったのは、「友だちとは、自分の味方になってくれる人」かなって。
あくまで自分の経験ですが、少し前にある人にデマを流されました。
その時に、ある人がそれがデマだと言って、反論してくれたんですよね。
それが非常に嬉しかったです。
損得勘定無しに味方になってくれたことが、とてもありがたかった。
特に男女関係においては、女性側が流すデマって、信じられがちなんですよね。
草津の事件しかり。
女性というだけで、嘘を吐かないと、盲信している一部の人たちがいます。
だから、男性に味方をするというのは、それがデマであっても、なかなか難しいことも多いです。
だからこそ、余計に嬉しかったなと。
そういう経験から、友だちって味方になってくれる人かなって。
ただ、何でもかんでも自分に味方になってくれる人、つまり、自分の意見に賛同してくれる人ではないとも思っています。
自分がやっていること、発言した内容が良くなければ、それをちゃんと指摘してくれることも友だちの条件な気がしています。
そして、その意見をまずはちゃんと聞ける相手である必要があるかなと。
それを自分は対等な関係と表現しました。
それは対話がちゃんとできるということでもあるのかなと。
または、信頼している人とも言えるかもしれません。
というのも、相手を自分の思い通りに動かしたくて、友だちを装って発言している人も多いので。
そういう意味で、なかなか見極めって難しいのかなとも思います。
だから、1つの条件だけで友だちって言うのは難しいだろうなあと。
今のところ自分の中で友だちと呼べる条件は、
- 味方になってくれること
- 悪い行動や言動を指摘してくれること
- 対等な関係であること
- 対話できること
あたりかなと。
他にもあるかもしれませんが。
ただ、わかるのは、味方になってくれることや、悪い行動や言動を指摘してくれることなどは、実際にそのような出来事が起きないとわからないということ。
逆に言えば、そのような出来事が無いと、友だち判定ができないので、そもそも友だちと呼べる人は少ないのかもしれません。
または、上記は少し狭い友だちの定義であり、それは親友なのかもしれません。
友だちは、もっと広い概念なのかもしれないなと。