コンピュータと人間との境目は何か?
例えばネット越しの場合、人間とコンピュータの区別はつきにくくなっています。
実際にチャットボットなどが以前流行りましたね。私もひっかかったことがあります。
ただ、長時間チャットボットと話していると違和感に気づき、ボットだと理解します。
これは人間のコミュニケーションの幅が広いことが原因と考えられます。
森博嗣先生の「すべてがFになる」という小説の中で、真賀田四季博士と西之園萌絵が会話するシーンがあります。
最後に西之園萌絵が真賀田四季博士に質問した内容が「あなたは誰ですか?」です。
その時、真賀田四季博士がそれは人工知能にはできない質問だと言いました。また、それを思考の飛躍という表現をしていました。
それが人間にしか本当にできないことなのかなあとか。
そもそも思考の飛躍というロジックをコンピュータにもたせてあげれば、見かけ上、思考の飛躍が生まれるようにも思います。
そうなったとき人間はコンピュータと人間を区別できるのでしょうか?
もしできなければ人間とコンピュータを区別する、その差というのは構成している物質の違いだけになるのかなと思ったり。
そもそも自我というものがまだ個人的に理解できていないことが、その大きな原因なのかもしれません。
自我ってなんでしょうね。
人間だけが持つ思考ってなんでしょうね。
論理的になればなるほど人間はコンピュータに近づき、コンピュータの処理能力が高くなればなるほど人間に近づけようとしていて、 お互いに歩み寄っているような気もします。
コンピュータに自我が生まれた時、一体それは人間にとって何を意味しているのでしょうか。
なんだかとりとめのない、まとまりのない話なのですが、言いたかったのは結局人間って何?って話でぐるぐると頭を回っていて、未だに答えが出ないなあということです。