
最近、哲学対話に参加したり、哲学の本を読んでいて感じているのは、哲学者という職業は、無くなってしまうのではないか?ということ。
そもそも哲学の本質とは何だろうか?
過去の哲学者たちの思想や言葉を知っていることだろうか?
たぶん、それについては多くの人が否定するだろう。
哲学の本質とは、問うこと、そして考えることなんじゃないかと個人的には思っている。
そして、問うことも考えることも、誰でもできることだ。
考えを深めるのも、同様。
過去の哲学者たちの思想や言葉を知っていることで、より深く思考ができるという意見もあろう。
しかし、それは最初に、知識があることが哲学ではないと、述べた通りだ。
では、哲学者は、過去の哲学者たちの思想や言葉を知っている、また、それについて研究している人間と定義することもできる。
ただ、それは哲学の本質とは関係ないとも言えるのではないか。
端的に言えば、歴史学者と近いものがある気がしている。
そういう意味では、哲学者というものの意味が変化しているとも言えそうだ。
そもそも問いや考えることについて、圧倒的な人の数にはかなわない。
哲学者1人と、100人の普通の人では、問える数も考える量も違う。
深く考えるという点についても、人が多い方が、様々な知識を統合できるため、深く考えることもできると思う。
また、哲学対話など、問うことや考えることを促す存在としての哲学者という役割はある気もする。
結局、何が言いたいのかというと、アリストテレスとか、ニーチェとか、ウィトゲンシュタインとか、いろいろと過去に哲学者はいたと思うけれど、そのような哲学者は今後いなくなってしまうんじゃないかってこと。