他者が不要であれば、無人島へ行けばいい

投稿者: | 2025年8月10日

そもそも他者が不要であれば、無人島へ行けばいい。

しかし、実際に無人島へ行く人は皆無だ。

無人島では生きていくのが大変だし、やはり他者の存在が必要だから。

他者がいれば、どうやっても関わり合わないといけない。

関わり合うというのは、関係性を持つというのは、めんどくさいことだ。

そのデメリットを補って余りあるメリットがあるから、人は関わり合う、関係性を持つ。

デメリットが無い関係性なんてない。

メリットだけ享受しようとすれば、そこに歪みが生まれる。

関係性を持つということは、お互い歩み寄り、つまり、他者への理解が必要になる。

それが対等な関係せよ、上下関係にせよ。

そして、一方的に理解して欲しいだけの関係は、どうやってもうまくいかない。

自分だけ理解して欲しいというのは、一方的に歩み寄って欲しいということ。

それは、相手にメリットが無い。

一方だけがメリットを享受している状態というのは、言ってしまえば搾取しているということ。

搾取し続ければ、関係性は崩れる。

当たり前のこと。

だから、お互いに歩み寄らないといけないし、歩み寄るにはお互いを理解しないといけない。

そして、理解してもらうには、自分について話す必要がでてくる。

それが一番怖いのだと思う。

自分のことを話して相手が受け入れてくれない可能性があるからだ。

つまり、自分が承認されるかどうかがわからないということ。

それが怖さであり、不安でもある。

だから、人間関係ってのはめんどくさい。

なぜなら、そもそも100%の理解なんて無いから。

でも、そこに人は期待する。

希望を持ってしまう。

100%理解されると思ってしまう。

そして、絶望する。

でも、考えてみて欲しい。

理解してくれないのは、相手のせいだろうか?

自分の言葉が足りない可能性はないだろうか?

相手を理解しようとしなければ、相手も自分を理解しようとはしてくれない。

だから、まず相手を理解することからはじめないといけない。

でも、それはめんどうだ。

なぜならエネルギーがいる。

欲望は、自分のことを理解して、承認してもらうこと。

それが満たされないから、怖くなる。

嫌になる。

そして、相手を理解しなきゃいけないのもめんどくさい。

そうやって、関係性を終わらせる。

でも、やっぱり関係性を持ちたくなる。

当たり前だ。

人間は一人では生きていけない。

一人では、寂しすぎる。

人生を一人で生きていくには長すぎるのだ。

無人島へ行くのは嫌なのだ。

それって単なるわがままにすぎない。

人間だから、わがままになってしまう、自分を優先してしまうことは多々ある。

というか、そんなこと日常茶飯事だ。

ただ、社会の中で生きていくなら、そこで折り合いをつけないといけない。

それだけの話。

折り合いをつけるのが、大人になるということなのだと思う。

折り合いをつけたくないなら、無人島へ行くしか無い。

どんな金持ちだって、どんな権力者だってそう。

必ずどこかで折り合いをつけている。

子どもだけ、折り合いをつけなくて良いのは。

わがままを言って良いのは子どもだけなのだ。

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