必ず「確かにそれは理解できる」ではじめる哲学対話的なものの可能性

投稿者: | 2025年1月13日

つらつらと思ったことを書くだけ。

最近、哲学対話に興味があって、参加したり、そのうち自分たちでもやろうかなと思ったり。

で、哲学対話をする会に行ってきた話でも書いたのですが、最後に問いで終わるのは難しいなというのと、自分の考えではあっても、それが他者の意見の否定になることもあるなあと。

あと、話が発散しやすいというのも哲学対話の傾向というか、課題のようにも思います。

そもそも話題が飛んでも良いのが哲学対話ではありますが、テーマから逸れ過ぎるのもなあと。

そのためにファシリテーターがいるわけですが、塩梅も難しそう。

また、話が発散すると、もやもや感が残ってしまうかなとも思っています。

で、自分が意見を言う時に必ず

「確かにそれは理解できる」

という接頭語を付けて、発言するというのはどうかなと。

理解ができるというはじまりにすると、話題の発散がしにくくなるため。

というのも、別な話題にしたいときには、その理解を否定しなければいけないからです。

また、否定的な意見も出しにくくなるかなあと。

ただ、デメリットして、結構発言に内容を求められてしまう可能性もありそうだなと感じました。

哲学対話のメリットとしては、話がまとまってなくても良いというのもあるので、そのメリットが失われてしまう気もします。

でも、1回試してみたいなあとは思いました。


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