
思ったことをつらつらと。
好きじゃなくなるのは、価値観の相違ではなく、相手に対して尊敬、敬意を払えない状態になってしまったからではないか?
または、自分を否定されたように感じるからではないか。
その根源は承認欲求な気がする。
自分を認めてくれないから、相手も認めない的な。
否定されると相手が自分を攻撃してくるように感じる。
敵意を感じる。
好きじゃなくなる。
受け入れて貰えないということだ。
受け入れて貰えないというのは、否定でもある。
また、相手のことは承認したくないが、自分のことは承認してほしいというのもあるのだろう。
つまり、自分の言い分だけを通したいというような場合、というか、欲望なのか。
でも、それは不均衡なのだ。
バランスが悪い状態。
人間はそれを解消しようとする。
というか、解消したいと思う。
しかし、それは難しいのだ。
かなりの困難を極める。
不可能に近いといえるだろう。
一方的に承認欲求を満たしたいという時点で、相手と対等な状態ではない。
対等な関係こそが、愛のベースにあると個人的には考えている。
お互いに承認欲求を満たすことができる状態。
しかし、それが実現しないのであれば、相手が変わるか、自分が変わるしかない。
現状として、一方的に自分が相手を承認している状態なら、やはりそれをやめるしかないのではないか。
つまり、お互いに承認しない状態にしないと、フラットにならないということ。
相手に対して、投入していた時間などのリソースを止めるのは当然だろう。
そもそも自分を承認してくれない人に、なぜ自分の時間を使う必要があるのか、その理由がわからないのだ。
理解できない。
相手は承認してくれないのだから。
どれほど頑張っても無駄ではないか。
根幹が少し見えてきた気がする。
そうか、ずっと承認してくれた人が承認をしてくれなくなる、つまり、それを否定に感じたから嫌だったんだ。
承認され続けたかったんだ。
相手のことを、どう考えていたのかはわからない。
ただ、その人に承認されていることが心地良かった。
ところが、その承認が無くなるとなれば、デメリットになる。
マイナスの感情が生まれる。
承認のレベルというのがありそうな気がする。
尊敬というのは、最高の承認ではないのか。
相手から請われてそれを受け入れるのも承認か。
承認欲求を満たすことが、人間の行動規範のベースにあるのかもしれない。
いや、あるのだろう。
- 承認の種類
- 存在の承認
- 意見の承認
承認と受け入れの違いは何か?
必要なのはプレゼントじゃない。
相手を認識し、認めること。
そうか、認めることが重要なのだろう。
受け入れすぎると、わがままになる。
相手がすべてを受け入れてくれると思えば、傲慢になる。
それが逆に不均衡を生むのかもしれない。
そう考えると、対等な関係を続けるというのは、かなり難しいと言えそうだ。
どうやったら、対等な関係を続けることができるのか?
これは非常に難しい問題だ。
何をもって対等な関係とするのか。
その基準が曖昧な気もする。
個人的には対話ができる状態が、一つの基準だと考えている。
対話ができない状態というのは、力の不均衡が起きている状態だからだ。
また、嘘をつくというのも、個人的には対等な関係を壊す原因が気がしている。
ただ、これはコミュニケーションの難しさでもある。
何でもかんでも、すべてを言うことが正しいといは限らないということ。
言い方もあるだろう。言い回しもあるだろう。
それを互いに手探りで、温度感なのか、情報伝達のプロトコルを調整していく。
そうか、プロトコルというのは、コンピュータにおける通信のルールみたいなもの。
そのような基準を、お互いのコミュニケーションにおいて、決めておくことで、情報伝達の齟齬が起きにくくなる。
対話のプロトコルか。ちょっと考えてみても良いかもしれない。