所有の起源について考える〜群れスペースという概念

投稿者: | 2025年1月2日

ぼんやりと考えたことの私的メモ。

所有の起源は縄張り

社会契約論/ジュネーヴ草稿などを読んだこともあって、所有権について考えることが多いです。

で、この所有権の起源というか、根源って何だろうなあと。

人間がサルから進化したとすると、やはり所有権の根源って、縄張りなのかなって思います。

縄張りというのは、自分の領域で、そこにあるものは、すべて自分の所有物という考え方。

サルに所有の概念があるかどうかはわかりませんが、少なくとも縄張りに入れば、威嚇・攻撃してきますし、縄張り内の物を取れば、奪い返しにくるでしょう。

なので、人間の根源には、この縄張りという意識があるんだろうなと。DNAに刻まれているという話。

で、ここまでは普通に考えつくというか、納得しやすい内容かなと思います。

個人的には、さらに一歩進めて考えてみました。

縄張り意識はパーソナルスペース?

具体的には、縄張り意識というのは、パーソナルスペースなんじゃないかなという話。

パーソナルスペースとは、他人に侵入されると不快に感じる領域のことで、パーソナルエリアや対人距離などと言われたりもしますね。

で、このパーソナルスペースの延長上に縄張り意識があって、それが所有の根源なんじゃないかということです。

人は誰しもがパーソナルスペースを持っていて、そこを守ろうとするわけです。

親密さとは群れの一員という認識

親しくなるとパーソナルスペースというか距離が短くなります。

で、個人的にですが、これは相手を群れの一員と認識しているということなのかなと。

人間は、それを家族とか仲間などという言葉で表現しますが、その基本は群れではないかという話。

群れとは

群れとは、同じ種類の生物の集団です。

群れのメリットは、やはり生存確率が高くなることかなと。

ただ、一方で集団になることで一気に全滅してしまう場合もあるので、デメリットもあります。

しかし、多くの動物を見れば、規模の大小こそあれ、ほぼ群れを作っているので、群れというのはDNAを残すという意味では、メリットの方が大きいでしょう。

正確には、群れを作った種が残ったというのが正しいですかね。

パーソナルスペースと群れは反する

パーソナルスペースと群れは、こと縄張りという点では、相反することです。

パーソナルスペースを重視すると群れが作りにくくなり、群れを重視すればパーソナルスペースをある程度諦めなければいけません。

ですので、パーソナルスペースが広く、それを狭めることができなければ、群れから離れることになります。

そしてそれは、群れが全滅した時に、DNAを残すための生存戦略でもあるのかなと。

ボス型の群れのパーソナルスペース

ボス型の群れのパーソナルスペースは、ボスが一番広く、それが縄張りであり、群れに所属する者のパーソナルスペースは小さくなっていると思われます。

そして、ボスの意識としては、群れに所属している者のパーソナルスペースは存在していないように思っているのではないかなと。

だから、ボスは群れに所属している者に対して、ぞんざいに扱うという感じ。

そしてこれは、人間社会でも当てはまる気がします。

パワハラやセクハラは群れの認識が原因かも

端的に言えば、パワハラ、セクハラがそれです。

近年ではパワハラやセクハラに対しての意識が大きく変わってきましたよね。

それは人間が社会的動物で、パワハラやセクハラに対するリスクを認識し、天秤にかけた結果、パワハラやセクハラをしないほうが良いという判断をしたにすぎません。

そのような言い方をしたのは、パワハラやセクハラの根源に、DNAに刻まれた本能があると考えているため。

つまり、前述の群れの話です。

上司である部署のボスは、所属している者のパーソナルスペースは存在しないように感じているため、ぞんざいに扱うということ。

パーソナルスペースの奪い合い

パーソナルスペースについては、これまで広い狭いという考え方が主流でした。

しかし、個人的にここまで考えてくると、パーソナルスペースというのは常に変動しており、パーソナルスペースは奪い合いが常に行われているようにも思えます。

また、パーソナルスペースが狭い人というのは、社交的なイメージがありますが、実はパーソナルスペースが狭いのではなくて、一部分だけ凹ませていると考えることもできそうです。

もしくは、自分のパーソナルスペースに相手を取り込んでいるという考え方もあるかなと。

そうなると、縄張り意識とかなり繋がってきそうです。

パーソナルスペースは円形?楕円形?

一般的にパーソナルスペースは円形とされています。

しかし、それは何もない空間で測ったものに過ぎません。

個人的には、パーソナルスペースはかなり形が変動するものではないかなと思っています。

障害物などがある場合というのが典型的な例ですが、自分が考えているのは、そういうことではなくて、群れ自体を自分のパーソナルスペースと考えているという話。

居候が居心地が悪い理由

例えば家。

個室が割り当てられている場所は置いといて、基本的に家族のいる場所も、自分たちのスペースだと考えることが多いと思います。

自分がそこに居なかったとしてもです。

そうなると円形や楕円形と言われているパーソナルスペースの考え方が大きく変わってきそうだなと。

ただ、これは人によって大きく変わります。

言ってしまえば、一家の大黒柱的な人は全部が自分のパーソナルスペース的に感じるでしょうし、居候などはパーソナルスペースが小さいでしょう。

それは一家の大黒柱の人のパーソナルスペースによって居候の人のパーソナルスペースが包含されている状態。

だから、居候は居心地が悪いのかなと。

群れスペースという概念

もしかするとですが、ここまで話してきたパーソナルスペースは、一般的なパーソナルスペースとは違う概念なのかもしれません。

端的に言えば、群れスペース的な感じ。

言葉については、また考えるとして、大事なことは群れに対するスペースの認識について、もっと考える必要があるのではないか?ということです。

群れスペースが縄張り意識ということなのかもしれません。

そんなことをぼんやりと思いました。

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