オープンな場は逃げ場があるという話

投稿者: | 2025年9月24日

先日参加した哲学対話&オープンダイアローグの後にいろいろと話をしていたときに、オープンな場というのは逃げ場があるから安心できるという話題がありました。

これは、個人的には無かった視点というか、感覚で、とても興味深いなと。

自分の場合、どうしても自分のスペースが欲しいというか。

一人になる場が欲しいし、人からの干渉をある程度コントロールしたいと思ってしまいます。

そして、それはみんなそうなんじゃないかなって。

もちろん、ずっと一人でいたいというわけではなくて、みんなでいるのも楽しいです。

ただ、ちゃんと一人になれる場所が欲しいという感じ。

物理的に言えば、自分の部屋ということ。

自分の部屋があれば、安心感があると思っていたからです。

しかし、自分の部屋を作ってしまうと、そこに誰かが入ってきたときに、逃げ場が無いという話でした。

ああ、確かに。

オープンな場であれば、どこへでも行けるけど、自分の部屋が最終安全地帯的な感じだと、そこに侵入されたら、確かに終わりな感じがします。

さらに、その後、話が進んでいって、役割が固定されるのが嫌なのかもしれないという話が出ました。

つまり、家の中で、父である、母である、長男である的な話。

これは結構納得できるなあと。

自分の部屋というのは、確かに自分のパーソナルを固定してしまうものになる可能性が高いです。

自分好みの部屋にしていくわけで、そこに自分が体現されるというか。

で、それによって、さらに自分というものが固定されてしまう気もします。

サッカーが好きでサッカー関連のポスターを貼ったり、サッカーグッズを揃えていけば、自分はサッカーが好きだというのが固定されるみたいな感じ。

サッカーが好きなことは間違いないですが、それが嫌いになったとしたら、そこに葛藤が生まれる気もします。

サッカーから少し離れようと思っても、自分の部屋というものに縛られて、離れにくいというか。

もし、自分の部屋がなければ、そういうものに執着はしにくい気もしますよね。

役割というのもそうで、父だから、母だから、といういう縛りによって、自分の生き方が縛られてしまうのもあるよなと。

たとえ自分の部屋だったとしても、そういう役割に縛られてしまうこともありそうだなと。

ああ、会社とかだと、上司とマンツーマンの密室で詰められるのって、キツイっすよね。

クローズドな場って、そういうネガティブなイメージがあるのかもしれません。

自分の部屋だけど、誰かが入ってきて、そこで何か起きても、外からは見えないというのは、確かにあるなと。

あまり考えたことが無かったので、とても面白いなと思いました。