ジョン・スチュアート・ミルの自由論からの引用。
同じ誤りを犯さないようにしよう、とよくいわれるが、政府も国民も、まさに権力の行使が適切とされる分野において誤りを犯してきた。たびたび不当な税を課し、不正な戦争を行った。
自由論 (光文社古典新訳文庫)
今の日本を見ると、まさにこの言葉がグッサリと心に刺さるなあと。
いつの時代も権力者は何故か国民からの搾取を最初に考えるんですよね。
革命とかで一気に変化した時は改善されるんですけど、そこから段々と時代を経るに従って、大体増税増税になっていく。
ミルの言う通り、同じ誤りを何度も繰り返すなと。
金が足りない?
政府としては支出が多くなりすぎていて、お金が足りないから増税と言っています。確かに現状維持だとどうやっても支出は減らないので、そこを改善すべきでは?というのが個人的な見解。
例えば、増税という魔法を止め収入で予算を決めるという考え方でも書いたのですが、必要なお金を増税で増やすのではなくて、収入から予算を割り振る方式に変えるというのはアリかなと思っています。
この方式の良いところは、優先順位を決めてお金を使うことになるという点です。
また、足りない分は国民に自己負担してもらうことになるので、例えば無駄に病院に行くことが減るかなと思います。
これであれば増税をする必要はありません。
無駄な支出が減らない理由
無駄な支出が減らない理由は、そこに利権があるからです。様々な補助金があり、そこが利権になっているという話。
例えば、最近ではColaboで同様の問題が東京都にあることがわかりました。
Colaboが不正をしているかどうかについては、今後の裁判で明らかになるので、現在のところわかりません。
ただ、東京都がほぼチェックせずにColaboに補助金を出していたという事実が判明しています。
また、監査委員は都知事が任命していて、結局そこもズブズブということがわかっています。
なにせ、買ってないものが計上されていて、そこにお金が出ていたにも関わらず、監査委員として問題なしとしているからです。
これはColaboが杜撰な会計だったということもありますが、そもそも東京都の監査が甘いというのも問題かなと。
結局、こういうザルな支出がいろいろとありそうだというのが現状でしょう。
これらの支出をしっかり管理すれば、余計な支出は減らせるはずなのですが・・・、都にしても政府にしても、議員にしても、お金を出したことで支持を得られるので、減らすことができないわけです。
このようなお金を出す側ともらう側でズブズブの関係があるかぎりは、当面増税は続くでしょう。
そしてそれはまさに、昔から繰り返し起きていたことなんですよね。
歴史から何も学んでいないことを学ぶなんて言葉がありますが、まさにその典型例かなと。