面白いとは何か? 楽しいとは何か? について個人的に考察したものをまとめたものです。また、長くなりましたので、最初に結論を書いておきます。
個人的結論
- 面白いとは、その人自身がこれまで得た経験や知識とは異なる経験や知識の理解
- 面白さとは、その人自身がこれまで得た経験や知識とは異なる経験や知識の理解量
- 楽しいとは、気分が高揚している状態
以下は、そのような結論に至った考察です。
面白いとは
ゲームをプレイしていて面白いと感じるときがしばしばあります。
その面白いとは何でしょうか?
私が面白いと感じるのは多くの場合、ゲームシステムです。またボードゲームなどの場合、コンポーネント(コマの形や絵柄、表現方法など)を見たときも、面白いと感じることがあります。
面白い自体は感情ですが、個人的に面白いの本質は物の特性にあるのではないか?と考えています。
つまり、「○○が面白い」という表現を使った場合、○○の特性を表現しているのではないか?ということです。
特性とは、特別な性質という意味です。
△△君は面白いという場合、その人の見た目が面白いやその人自身の言動が面白いなどの意味がありますが、どちらも特性であると思います。
さて、ここで面白いの反対を考えてみます。誰しもが面白いの反対はつまらないと答えるのではないでしょうか?
私もそう思います。
つまらないとは何でしょうか?
これまでの流れから、面白いの逆と考えれば、つまらないとは特性がないということになります。
ここで特性について考えてみます。
特別な性質とは何でしょうか?
個人的な考えですが、特性な性質とは従来の性質とは異なる性質であると私は考えています。
また性質とは何でしょうか?
個人的な考えですが性質とは経験や知識の集合と考えています。
さて、ここまで書いてちんぷんかんぷんな気もしているのですが、材料はすべて揃ったように感じます。
ここで違う視点から面白いについて考察してみましょう。
人によって面白さが違う理由
万人が面白いと思うボードゲームは存在しないと言われています。これについては、異論を唱える方はいないでしょう。
では、なぜそのようなことが起きるのでしょうか?
ここまでの考え方からすると「特性がないから面白いと感じない」ということになります。
はじめてカルカソンヌというボードゲームをプレイしたとしましょう。それは従来とは異なる性質(特性)です。そのため、面白いと感じるのではないか?ということです。
では、500回目にプレイした時はどうでしょうか? 最初にプレイした時と同じ面白さを感じることができるでしょうか?
答えはノーです。
500回目でも面白さを感じることがあるかもしれません。しかし、それはそれまで499回プレイした時(従来の性質)はと異なる性質(特性)を感じたからだと考えられます。
まとめると「人は従来の性質とは異なる性質に出会った時、面白いと感じる」と言えます。
さて、ここでカルカソンヌをはじめてプレイした時に面白いと感じない人もいるのではないか? という疑問が湧いてきます。
確かにそうです。
従来の性質とは異なる性質に出会っても面白いと感じないことがあります。
それはどのような時でしょうか?
私の場合、興味がない分野や理解できない分野については、たとえそれがどれほど新規的なものであっても、どれほど素晴らしいものであっても、面白いと感じません。
ここで興味が無いというのはどういうことでしょうか?
個人的見解ですが、「興味がないとは理解を放棄していること」だと考えています。
そもそも理解する気がないわけです。
そう考えると、面白いがもう少し見えてきました。
つまり「面白いとは従来の性質とは異なる性質の理解」と言えそうです。
ここで述べている従来の性質とはその人自身の経験や知識に依存します。そして、それが面白さの度合いにもなると考えています。
つまり、従来とは異なる性質をより多く理解した時ほど、面白いと感じるわけです。
ここまでの内容をすべてまとめると「面白いとは、その人自身がこれまで得た経験や知識とは異なる経験や知識の理解」で、「面白さとは、その人自身がこれまで得た経験や知識とは異なる経験や知識の理解量」となりそうです。
これを基軸にしていろいろな事例に適用してみたのですが、当てはまっているような気がするので、ある程度合っているのではないかと思っています。
楽しいとは
次に楽しいについて考えていきましょう。こちらは面白いに比べてとてもわかりやすいと思いました。
楽しいとは人の感情です。
楽しいと感じる時は、自分自身の心が平常状態よりも躁状態側にある、気分が高揚しているときです。つまり、楽しいはその人自身の状態をあらわしています。
ここで興味深いのは「面白いと感じた時に楽しいとも感じること」です。
実はここが個人的にずっと疑問に思っていた点でした。
面白いを辞書で調べてみると楽しいという意味が含まれています。個人的にも面白いと楽しいについて、分けて考えることはありませんでした。
しかし、面白いと楽しいは分けて考える必要があります。
例を挙げてみましょう。
「このボードゲームは面白い」と「このボードゲームは楽しい」という表現は、とても似ているようで違うからです。
「このボードゲームは楽しい」という表現を正確に考えてみると「私はこのボードゲームをプレイした時に楽しい気分になった」や「このボードゲームは面白い。そして私は楽しい気分になった」という意味になると思います。
皆さんはどうでしょうか?
「このボードゲームは楽しい」と表現した時、そのボードゲーム自体が楽しいのでしょうか? それともプレイした結果、楽しい気分になったのでしょうか?
個人的には後者だと思っています。
そもそも楽しいとは人間の感情の表現であって、物の評価に使用するのは少し違っているようにも思います。
人によって楽しさが違う理由
では、楽しいとはどのような時に起きるのでしょうか?
これはとても難しい問題です。
というのも「楽しいとは気分が高揚している状態」と定義した場合、高揚させている原因は多様に存在すると考えられるからです。
ボードゲームを例に考えてみましょう。
ボードゲームをプレイしている時に、楽しくなるのはどのような時でしょうか?
私の場合、自分が勝っているときや、みんなでワイワイ盛り上がっているとき、ゲームシステムが面白いと感じたとき、チームプレイがうまくいったとき、相手の手を読み切ったとき、私が薦めたボードゲームでみんなが楽しんでくれたときなどです。
つまり、気分を高揚させるトリガーが様々存在しているのです。
皆さんはどうでしょうか?
このトリガーは人よってかなり違うと思います。そのため人によって楽しさが違うと考えられます。
面白いゲームが必ずしも楽しめるわけではないが・・・
ここまで読んでいただいた皆様、ありがとうございます。
いろいろと書いて来ましたが実はここからが本題です。
面白いゲームというのは数々存在します。しかし楽しくなかったこともあるでしょう。
また、つまらないボードゲームなのに楽しくプレイした経験はないでしょうか?
そうなのです。
面白いと楽しいは別なので同時に存在することもあれば片方しか存在しないこともあるのです。
以上。
まとめ
改めて結論を書いておきます。
- 面白いとは、その人自身がこれまで得た経験や知識とは異なる経験や知識の理解
- 面白さとは、その人自身がこれまで得た経験や知識とは異なる経験や知識の理解量
- 楽しいとは、気分が高揚している状態
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