
評価・レビュー
☆4/5
お笑い芸人であるオードリーの若林正恭さんが、ダビンチで書いていたエッセイ+書き下ろしのエッセイをまとめたもの。
人見知り芸人だそうですが、自分もかなり人見知りなので、いろいろと共感できるところがあるなあと。
周囲の人に自分は人見知りというと、嘘だあと言われることが多いですが、誰とでも話せるようなテクニックを覚えただけで、心の中ではかなりエネルギーを使ってたり。
多くの人といる飲み会が苦手なのもわかるし。
という感じで、なかなかに面白く読めました。
以下、本文を引用しつつ、個人的なメモ。
一人でも寂しくない
一人でいてもあまり寂しくないのは、自分と話しているからなのだ。
これは、まさにそうだなあと。
自分も一人でいるのが楽で、頭の中で様々なことがぐるぐると目まぐるしく回っています。
あーだこーだをずっと一人でやっている感じ。
対人のテクニックと言ってよいかわかりませんが、この人と仲良くなろうと思って話しかけるときは、頭の中で50回ぐらいシミュレーションしてます。
あらゆるパターンを考えて、対処方法を用意しておく感じです。
まあ、往々にして、シミュレーション通りにはいかないのですが、シミュレーションをやっておくと、最初に話しかけやすくなるかなあと。
主語を自分にする
「俺はこういう生き方なんだよね」という話は聞けるが、「こういう生き方をしなくてはダメ」だと押し付けられるのが苦手だ。
これもいつからか、自分でかなり意識していることです。
「xxはxxだ」という言い方ではなく、「自分の経験ではxxはxxでした」「自分ならxxはxxする」という感じで、あくまで自分の考え、経験、行動であるということを強調するようにしています。
あと、ダメという考え方も結構前から捨てているというか。
そもそもダメな生き方って何なんでしょうね。
ダメでも良いじゃないって思ったりもしています。
太宰治とか文豪だけど、ダメ人間と言われることが多いですよね。
人間、いろいろな面があって、良いところもあれば、悪いところもあるかなあと。
で、そのダメな面だけを指摘しても仕方がないという気もしています。
ダメな点を指摘するのであれば、相手をまずすべて受け止めてからかなあと。
お互いに信頼関係があった上で、指摘するというのはあると思うので。
そういう友人を作ることが大切なんじゃないかなあって。
最初から相手を否定するのではなくて、批判するのではなくて、受け入れることからはじめる的な。
まあ、あくまで自分のスタンスです。
生き辛さの原因
自分の生き辛さの原因のほとんどが、他人の否定的な視線への恐怖だった。
その視線を殺すには、まず自分が”他人への否定的な視線”をやめるしかない。
これもわかるなあと。
自分も他者からの見え方というのをすごく気にしていました。
ネガティブに思われたくないという思いが強いです。
これは未だにあるのですが、根っこの部分にあるものなので、一生抜けないだろうなあと。
ただ、理性として、人を否定的な視点で見ることは、やらないようにしています。
そう考えたことがあったとしても、理性でコントロールするという感じ。
良いところを見つけたり、そもそも気にしないようにしたり。
他者を否定すれば、否定が返ってきます。
なので、否定しないようにする。ダメでも一旦受け入れてみる。
それが、自分の今のスタンスです。
ポジティブな感情で相手と接すると、相手からもポジティブな感情が返ってくることが多い印象。
結果として、生き辛さが軽減されていくのかなあと。
そんな風に思っています。
自分の生き方を肯定する言葉をカツアゲしようとする
「なぜそういう生き方をした方がいいのですか?」と聞くと、
「お前のためを思って」と言う。
そういう人は「〜のためを思って」という大義を隠れ蓑にして、
自分より立場の弱い者から
自分の生き方を肯定する言葉をカツアゲしようとする。
少し前にある人から言われたことを思い出しました。
あなたのためを思って、xxするべきだという論法で、個人的にすごく嫌な気分になったのを覚えています。
生き方を肯定する言葉をカツアゲしようとしているという表現が、かなりわかるなと。
その上で、相手を自分の思い通りにコントロールしようとしているんですよね。
これはコミュニケーションの取り方として良くないなと改めて感じました。
大切なのは、自分がどうしたいか?だろうなと。
相手に何かしてほしいときってあると思うんですけど、その時も、自分はどうしたいか?が最初にあって、その上で相手にxxして欲しいが正しいコミュニケーションなんじゃないかなと。
自分の欲望を隠したまま、相手をなんとかしようというのは、フェアじゃないし、信用できないです。
で、これは自分にも言えて、もっと最初に自分はどうしたいか?をちゃんと言うようにしようと思いました。