
何となくだが、物事を複雑にして、煙に撒こうとする人たちってのがいる気がしている。
個人的にそれは無駄なことなんじゃないかって。
ある問題があったとして、様々な要素が複雑に絡み合っているというのはわかる。
そして、その問題を解決するには、一つずつやっていくしか、方法はないのではないか。
もちろん、問題すべてを一気に解決する方法もあるかもしれない。
しかし、無いかもしれない。
だから、細分化して、問題を一個ずつ解決するのが近道だと思う。
それを物事が複雑だからという理由で、あーだこーだ言っているだけでは、何も前に進まない。
しかし、物事が進むのが嫌な人もいる。
なぜなら、今の状態が安全だからだ。
何かをするということは、何かが変わるということである。
そして、変化を恐れる人というのは多い。
というか、すべての人間は、どこかしら安定を、安心を求めるものなのだ。
その程度の差に違いがあるだけ。
だから、物事が複雑だと言って、解決できないと声高に叫ぶことで、物事が進まないようにしようという気持ちもわらなくはない。
でも、それは停滞だ。
また、シンプルな問題であっても、わざと物事を複雑にしようとする人もいる。
これも同じこと。
変化を恐れているのだ。
よく、代案を出せという話があるけれど、個人的にはその通りだと考えている。
代案が無いというのは、そもそも解決する気がないのではないか。
というのも、個人的には荒唐無稽な案だって良いと思っているから。
少なくとも考えてはいることは確かだ。
しかし、荒唐無稽な案すら出てこないとなると、ただ、歩みを止めようとしているようにしか見えない。
実際、人の心の中はわからない。
出力された情報や行動から判断するしか無い。
だから、案すら出さないというのは、外から見れば、何もしたくないと考えているようにしか見えないのではないか。
そんなことをふと思う。
