物事を複雑にして、煙に撒こうとする人たち

投稿者: | 2025年11月3日
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何となくだが、物事を複雑にして、煙に撒こうとする人たちってのがいる気がしている。

個人的にそれは無駄なことなんじゃないかって。

ある問題があったとして、様々な要素が複雑に絡み合っているというのはわかる。

そして、その問題を解決するには、一つずつやっていくしか、方法はないのではないか。

もちろん、問題すべてを一気に解決する方法もあるかもしれない。

しかし、無いかもしれない。

だから、細分化して、問題を一個ずつ解決するのが近道だと思う。

それを物事が複雑だからという理由で、あーだこーだ言っているだけでは、何も前に進まない。

しかし、物事が進むのが嫌な人もいる。

なぜなら、今の状態が安全だからだ。

何かをするということは、何かが変わるということである。

そして、変化を恐れる人というのは多い。

というか、すべての人間は、どこかしら安定を、安心を求めるものなのだ。

その程度の差に違いがあるだけ。

だから、物事が複雑だと言って、解決できないと声高に叫ぶことで、物事が進まないようにしようという気持ちもわらなくはない。

でも、それは停滞だ。

また、シンプルな問題であっても、わざと物事を複雑にしようとする人もいる。

これも同じこと。

変化を恐れているのだ。

よく、代案を出せという話があるけれど、個人的にはその通りだと考えている。

代案が無いというのは、そもそも解決する気がないのではないか。

というのも、個人的には荒唐無稽な案だって良いと思っているから。

少なくとも考えてはいることは確かだ。

しかし、荒唐無稽な案すら出てこないとなると、ただ、歩みを止めようとしているようにしか見えない。

実際、人の心の中はわからない。

出力された情報や行動から判断するしか無い。

だから、案すら出さないというのは、外から見れば、何もしたくないと考えているようにしか見えないのではないか。

そんなことをふと思う。

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