問題の解決とは、デメリットを被る人を納得させること

投稿者: | 2025年5月24日

思ったことをつらつらと。

問題の多くはすでに解決されている

解決策が明確で、デメリットがなければ、それを実行するだけだからかだ。

そのようなものは問題ではない。

つまり、本当の問題とは、解決策が決まっていないもの、解決策が実行できないものなどのことを言う。

ただし、解決策が無い問題というのは、実は少ない。

多くの場合、解決策を実行することでデメリットが発生するために、解決策の実行が阻害されることが問題なのである。

これが問題の本質ではないかなと。

デメリットのないアクションはない

デメリットがないアクションはないと個人的に思っている。

大きい小さいはあるものの、何かを得れば、何かを失う。

メリットがあればデメリットもある。

で、思う。

問題の数が減るのであれば、そこで納得するしかないのでは?

デメリットが大きいアクションをわざわざする人はいるのだろうか?

結局、問題を解決したとしても、デメリットが大きければ、さらに多くの問題が発生する可能性がある。

何が言いたいかというと、問題の解決によって問題の数が減るのであれば、そこで納得するしかないのではないか?ということ。

当事者は納得できない

で、ぶつかる点は、当事者は納得できないということかなと。

ここでいう当事者とは、デメリットを被る人のこと。

だから、合理主義的に、全体主義的に問題を解決するか、個人主義的に問題を解決するかが問題解決のポイントというか、それしか無いのではないか?という話。

全体と個については、粒度がいろいろとある。

家族と個人が最小で、最大は地球全体と1国家かな。ざっくりのイメージだけど。

デメリットを被る人を納得させるには?

そうなると、問題の解決とは、デメリットを被る人を納得させることなのかもしれないとも思う。

それがお金なのか、何なのか。

で、そこに投じるコストと、全体のメリットを勘案する、バランスを取るのが、問題解決するということとも言えるかなと。

そんなことをぼんやり思う。


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