あくまで個人的な考えをつらつらと書いたものです。時とともに考えは変わっていくので、書いている時点で思っていたことのメモ的なもの。
名言とは
goo辞書に寄れば、
名言(めいげん)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 – goo国語辞書
と書かれています。
確かにその通りだなと思いつつも、世の中の名言を見ると、結構当たり前のことを言っていることが多いようにも思います。
では、名言の本質って何でしょうか?
名言がこれほどまでにずっと語り継がれているのは何故なのでしょうか?
人は当たり前のことをよく忘れる
ジョン・スチュアート・ミルの自由論に、
ほとんどの人は、自分がその現実に直面し、苦しい経験をして初めて、教訓のほんとうの意味を知るのである
自由論 (光文社古典新訳文庫)
という言葉がありました。
これは名言の本質を突いている言葉じゃないかなと。
名言は当たり前のことを言っているのですが、人間というのはしばしば名言を忘れ、実際に苦境に立たされた時に、名言を思い出し、ああと納得するということです。
つまり、名言の本質とは
「忘れっぽい全人類のためのメモ」
なのかなとか思いました。
人によって名言の捉え方が変わる理由
名言と言われる言葉を聞いても、人によっては何も感じることがない場合があります。
可能性として考えれるのは、
- その言葉が身についていて実践できている
- 経験や知識が無いために、その言葉の意味を理解できていない
のどちらかかなと。
名言とは当たり前の言葉が多いため、身についている人にとっては挨拶とさほど変わらないでしょう。
逆に経験や知識が無いと名言が意味する内容を理解できず、何を言っているのかがわからないため、名言にまったく何も感じないのかなと。
つまり、人によって名言の捉え方が変わるのは、その人の経験や知識に依存してしまうという話。
そして、名言を聞いても何も感じないということは、自身に経験や知識が不足していることの裏返しとも言えそうです。
孫子の兵法書は読むたびに捉え方が変わる
自分は何年かごとに孫子の兵法書に関する本を読んでいます。
そして読むたびに捉え方が少しずつ変化しているのを感じました。
その理由が自分自身の経験や知識が影響しているからだろうなと。
これは別に孫子の兵法書に限った話ではなくて、たぶん多くの名著と呼ばれる本がそうだと思います。
そして、名言についても同じようなことが言えるのかなと。
本を一冊読むのはかなり大変ですが、名言のように短い言葉であれば、サクッと読めますし、今の時代にこそ合っているコンテンツなのかもしれないなと個人的に思いました。