言葉遣いに感じる コロナ報道の違和感

投稿者: | 2021年9月27日

コロナウイルスのメディア報道で個人的にずっと気になっていたのが、新規感染者の報道の言葉遣いについてです。

具体的には「新たにxx人の感染者」や「新たにxx人感染」という言い回し。

新たにの意味

「新たに」という言葉を調べてみると、

従来はそうでなかった物事始めるさま。「新しい」を意味する形容動詞「新た」の活用形

新たにの意味や使い方 Weblio辞書

 新しいさま。今までなかったさま。「新たな局面を迎える」「新たな感動を呼ぶ」「新たな力がわく」

「冬過ぎて春の来 (きた) れば年月 (としつき) は―なれども人は古 (ふ) り行く」〈・一八八四〉

 (「あらたに」の形で)改めて行うさま。「認識を新たにする」

新た(あらた)の意味 – goo国語辞書

という意味であることがわかります。

 新しく事をすること。また、そのさま。「新規に加入する」「新規採用

半蔵夫婦の—な生活は始まったばかりだ」〈藤村夜明け前

 (多く御新規」の形で)飲食店などで、新しい客。「御新規さんお二人御案内

 新し規則

新規とは何? Weblio辞書

また、メディア報道では新規感染者という表現もあります。

新規について調べてみると、

 新しく事をすること。また、そのさま。「新規に加入する」「新規採用」

「半蔵夫婦の―な生活は始まったばかりだ」〈藤村夜明け前

 (多く「御新規」の形で)飲食店などで、新しい客。「御新規さんお二人御案内」

 新しい規則。

新規(しんき)の意味 – goo国語辞書

という意味であることがわかります。

つまり、新たにと新規ではニュアンスがちょっと違うんですね。新たにというと、今までになかった、従来に無かったというニュアンスが入り、これまでにとは違う、これまで以上のという感じが出ます。

何が言いたいかと言うと、コロナウイルスの継続的な感染者数について、新たにという言葉を使うのは、ちょっと意味として違うのでは?ということです。

文字数の問題

また、もう1つの違和感として文字数があります。例えば新聞社では文字数というのはかなり意識して見出しを作成しています。

見出しは駅やコンビニなどで新聞が売られている時に一番目立ちます。見出しで購入する人も多いでしょう。ですので、見出しというのはかなり重要視しています。その時に、できる限り多くの情報を伝えるために、短くできる言葉はできるかぎり言い換えるのが常套手段です。

つまり、新たにと新規という言葉があった場合、新規が採用されるのが通例なのです。

これは紙媒体のメディアに関わっている人なら理解できるでしょう。

何が言いたいかというと、コロナウイルスの報道においては、あえて「新規」ではなく「新たに」という言葉を使っているのです。

「新規」ではなく「新たに」を使うわけ

前述したように、「新規」と「新たに」ではニュアンスが異なります。新たにという言葉には、今までに無かった、従来とは異なるというニュアンスが入ります。

つまり、メディアとしてはコロナウイルスの状況を煽るために、新たにという言葉をあえて使っているのです。

こういう細かなニュアンスの伝え方が、マスメディアが世論を誘導しようとしていると言われる理由の1つと言えるでしょう。

ウソではないですが、伝え方1つで全然印象が変わるためです。

単純にグラフの見せ方がおかしかったり、数字がおかしかったりとわかりやすい世論誘導もありますが、こういった言葉遣いについても、かなり手を加えているので、新聞やテレビの報道の情報は額面通り受け取らない方が良いかなと思います。

どうしてこうなったのか?

では新聞社やテレビなどのメディアはどうしてこうなってしまったのでしょうか?

広告主の意向を汲むようになる

そもそも、新聞社にしてもテレビにしても、元々は事実をそのまま伝えるというのが本来の姿でした。

しかし、新聞社やテレビは広告主によって成り立っている会社です。つまり、広告主からの要望に応えなければいけない状況があります。実際に自分が弱小Webメディアをしていた時に、誰もが知る大企業からxxについては報道をしないように要請が来たことがありました。もし報道した場合には今後の広告出稿について考えさせていただきますという文言付きで。

弱小メディアにすらそのような要請が来るのですから、大手などは言わずもがなです。なにせ広告の金額が桁違いですから。

そのためだんだんと新聞社やテレビの報道が変化していきました。

インターネット闘争の敗北

そしてインターネットの登場がさらにそれを加速させていきます。インターネットで多くの情報が無料で手に入るようになり、特に有料で情報を提供していた新聞社や雑誌などは大きな打撃を受けました。また、新聞社やテレビのウソを暴くような情報が氾濫しはじめ、新聞社やテレビはインターネット叩きに走ります。

インターネットの情報のメインが2chであるかのような報道をすることで、インターネットにある情報の価値を下げようとしたのです。しかし、この闘争は失敗に終わります。なぜならば、新聞社やテレビのインターネット叩きは、事実と異なる点が多すぎたからです。事実と異なる情報を流し続けたことで新聞社やテレビの情報について懐疑的になる人が増え、新聞やテレビが失墜していきます。これは自業自得と言えるでしょう。

インターネットの負の面から学ぶ

そして、新聞社もテレビもインターネットへ進出していくことになります。インターネットの荒波に揉まれていく中で、新聞社もテレビも情報の出し方が変わってきました。

まず、インターネットではこれまで以上に見出しが重要になります。いかにセンセーショナルな見出しによって、クリックさせるか?が重要視されていきます。その中で、インターネットの悪い面を学んでいくことになります。それが、ウソではないという言い訳と、見せ方の問題というテクニックです。

ウソではないという言い訳とは、まさに今回取り上げたような言葉遣いです。また、あえて情報を出さないというやり方もあります。

また、見せ方の問題というのは、よくインターネットで取り上げれるグラフの比率がおかしいなどです。例えば円グラフでなぜか20%の方が40%よりも円グラフの面積が大きかったりするといったテクニック。

これらの方法を学んでしまったことで、これまで以上に新聞社やテレビは世論誘導ができることを知りました。そして、それが加速していくのです。そして、それを止めるようなメディアの人はいませんでした。

なぜ止められなかったのか?

これは個人的な見解ですが、新聞社やテレビに携わる人に理系の人が少ない、もっと言えば、サイエンスについてわかっている人がいなかったことが原因ではないかなと思います。

そもそもサイエンスとは、同じ条件下であれば同じ現象が起きるという大原則があります。また、エビデンスを重要視します。エビデンスが無ければ、それが事実として語ることはありません。自身の考えや推測は、それを明示した上で話します。それが普通なのです。

論理的な思考という点において、理系の人はその根底に無意識で「同じ条件下であれば同じ現象が起きる」という考えがあります。

例えば、円グラフの場合、同じ比率ならば同じ円グラフになると考えるのです。だから、違和感を感じるのです。

そういう違和感を感じる人がメディアの中には居なかったのだと思います。そのため、今のメディアの状況を止めることが出来なかったのではないかと個人的には考えています。

当たり前のことのように思いますが、この当たり前が実は多くの場合、当たり前じゃないですよね。

大企業の中でも

そして、ウソではないという言い訳や見せ方の問題というテクニックは、メディアだけでなく大企業の中でも起きています。実際に自分はそれを目にして、それはおかしいでしょ!って言ったのですが、ウソではない、見せ方が違うだけと言って取り合ってもらえませんでした。それが彼らにとっては当たり前なのです。そしてそういうテクニックに優れた人が評価され昇進していくわけです。

個人的にはそれが嫌で会社を辞めました。事実を隠してビジネスをするというのに耐えられなかったためです。

まあ、貧乏な生活にはなってしまいましたが、今の生活のほうが精神的には楽です。将来やお金の不安はありますけどね。