
先日、友だちというテーマで哲学対話をした時に、個人的に思ったことがあります。
それは、関係性を確認するのは、安心感、つまり味方かどうかを確認するためじゃないかということ。
友だちだよね?と聞くのは、結局、関係性を確認しつつ、安心したい。
その安心したいの根底は、味方だよね?という意味なのかなと。
そう思うのは、コミュニケーションの本質は敵か味方かだからではないかなと個人的に思っています。
だから、別に友だちじゃないということがわかる場合も、問題無いというか。
敵と認識できるからです。
基本的に、家族にしろ、友だちにしろ、恋人にしろ、結局のところ、味方だという認識を得たいだけなのかもしれないなと。
その関係性が悪い場合もありますが、多くの場合には、味方であることが多いので、関係を確認したくなるというか。
関係性を決めたくなるというのが正しいかもしれません。
曖昧な関係が不安なのは、敵か味方かがわからないというのが根底にあるんじゃないかなって。
その人といっしょにいて、安心できるかどうかという話でもあります。