
コミュニケーションが敵味方判別方法だとして、感情も似たようなものかもしれない。
感情を出すことによって、共感を得たり、相手に対して何かを伝えるときに、感情が籠もっていた方が大きな影響を与えることができる。
大事であるというアピールと言えるかもしれない。
感情の発露が、バランス装置。
怒りは、敵であることのアピールになる可能性が高い。
というか、そう受け止める人が多い気がする。
感情に対して、感情で応えることが対等な関係。
なぜなら、感情を出さないということは、他人事と思われてしまう。
そうであるならば、感情を出すというのは味方であることのアピールなのかもしれないとも思える。
感情的になることではなく、感情を込めて伝えることが味方の意思表示という話。
能面のような対応をされると、嫌な気分になるのは、本能的に敵だと認識しているからとも言えそうだ。
何も感じないという人もいるだろう。
しかし、機械的な対応をされるより、にこやかに対応された方が、圧倒的に印象が良いのは同意できるのではないだろうか。
つまり、印象が良いというのは、自分にとって味方だと認識している、認識してしまうということなのかもしれない。
印象という言葉を使っているが、敵味方を言い換えているに過ぎないということ。
感情的に喚き散らすと、人によっては、味方だと認識されない。
相互の人間関係にもよるし、受け手側が持っている情報にも影響はしそうな気がする。
ただ、感情的に喚き散らす、当たり散らすとかもそうだが、そういうことをすると、自分も被害を被る可能性があるから、印象が悪いのかもしれない。
つまり、敵だと認識する。
感情的に喚き散らす、当たり散らすというと、やはりサルを思い浮かべてしまう。
それによって、人間とは違うという認識が生まれ、結果、印象が悪くなるのか。
違うということが、もしかしたら、敵と認識する理由なのかも。
そもそも敵味方の判別方法として、言語の違いや礼などが生まれたと考えれば、それらは違いによって異物を検出するシステムと考えることができる。
違いというのが、やはり敵味方の判別方法の基本にありそうだ。
AIを敵と考えてしまうのは、AIが人間とは作りが違う、感情がないというのが、ある気もする。
あくまで、人間が味方だと認識するのには、やはり感情が無いと、ダメなのではないだろうか。
