個人的にぼんやりと思ったことのメモです。
受験は必要か?
受験というのは、一発勝負です。
それによって人生が大きく変わってしまうことがあります。というか、変わってしまうでしょう。
しかし、本当に受験って必要でしょうか?
個人的にですが、受験はもう不要ではないかと思っています。
その理由として、
- 偶発的なアクシデントを防ぐ
- 継続的な努力の価値を重視する
があります。
偶発的なアクシデントを防ぐ
最近見たドラマでも出てきたのですが、とある学生が受験日当日に、アクシデントが発生して、合格確実と言われた高校に落ちたというのがありました。
自分も過去の経験ですが、大事な試験の日にお腹を下してしまった経験があります。
それをきっかけに、試験前や試験日の食べ物について、めちゃくちゃ気を使うようになりました。
ただ、いきなり最初の試験でそのような準備できるか?と言われると難しいかなと。
また、事故にあったり、自分ではどうしようもないトラブルに巻き込まれることもありますよね。
私が見たドラマでは、家族の問題が原因で受験を失敗したというものでした。
で、受験による一発勝負って、本当に正しい制度なのかなと。
受験という制度が無ければ、そのようなアクシデントは防ぐことができます。
継続的な努力の価値を重視する
じゃあ、どうやってその人の能力を測るのかと言えば、それまで積み重ねてきた結果から判断すればよいのではないかなと。
大学受験であれば、高校3年間のテストや模試の成績です。
そこで常に高い点数を取っていれば、望む大学に入れるという仕組みです。
ここでは仮に「積算進学方式」とでもしましょうか。
受験は、大学受験のために継続して努力していた人にとって、たった1回のアクシデントでそのすべてが台無しになる可能性があります。
しかし、それまで継続してきた努力によって大学進学ができる仕組み「積算進学方式」であれば、そのような心配はありません。
一発勝負に意味がある?
受験の意義として、一発勝負であることに意味があると考えている人もいるのかなと。
その時感じるプレッシャとかが、のちのち社会に出たときに役に立つという話。
ただ、自分がこれまで生きてきた経験では、そんな一発勝負は無かったです。
基本的には、それまでの積み重ねの結果として、判断されるという話。
例えば、コンペだってそうです。
コンペまでにいろいろなことを考え、試し、改善し、その結果が出るだけ。
それ以上でもそれ以下でもありません。
大切なのは、そこまでにどれだけ努力し、積み上げてきたか。
もちろん、その努力が間違っている場合もありますけど、少なくとも運でコンペを勝てることは無いです。
あと、コンペに負けたからといって、大学受験の失敗よりも人生が大きく変わることも無いかなと。
というか、大学受験よりも人生が大きく変わるような一発勝負って日本であります?
金額が大きく動く場合があるでしょうけど、であれば準備を用意周到に行いますよね。
一夜漬けで挑むことは絶対にありません。
リスクヘッジするでしょ
あと、会社においては、そもそもリスクヘッジするのが当たり前です。
属人的なものは、基本的には排除していくのが普通。
じゃないと、1人の人間が辞めたら会社が倒産したとか、経営としては最悪ですから。
金額が大きく動くような商談ならなおさら、複数人で対処しますよね。
受験のように1人でやることはありません。
一発逆転は積み重ねの結果
一発逆転で人生を変えたいと思う人は多いと思います。
自分もそういう考えは持っていますが、それができるのは完全な運のものだけかなと。
宝くじがそうですね。
基本的には、人生を変えるには、そのための行動が必要だと思っています。
そして、その行動の積み重ねが結果として、一発逆転に繋がるということです。
人生どん底から這い上がってきた人の話を聞いたり、読んだりすると、すべての人が努力というか、継続的なアクションを行っています。
道を歩いていたら、いきなり一億円を拾ったということはありません。
受験においても、一切勉強せずに挑めば、どうやっても受かることはないでしょう。
そこまでの継続の結果、一発逆転が起きる可能性があるだけです。
継続は力なりを学ばせるなら
「継続は力なり」という言葉は、ずっと昔から言われていて、今でも言われ続けています。
これは継続は本当に意味があるからでしょう。意味があるというと、ニュアンスが違うかな。
結果を出すには継続しなければならないというのが正しい気がしますね。
で、受験という制度、システムは、それと真っ向から対立するものじゃないかなと。
子どもたちに「継続は力なり」を伝えるのであれば、高校の試験や模試の成績が大学進学に繋がるシステムにした方が良いのではないでしょうか。
目的は大学受験合格ではない
そもそもの話ですが、目的って大学受験合格ではないですよね。
その後にも人生があるわけで、大学では非常に面白い講義がたくさんあります。
それらの知識は本を読んでも得ることができますが、大学では同じ知識を持った人が隣にいて話ができますし、わからないことを先生にすぐに聞くことができるため、理解を深めやすいというメリットがあります。
近年では、学問の専門性が強くなってきており、ちょっと分野が違うとなかなか話が通じにくいことも多いです。
インターネットには情報が氾濫していますが、そういった専門性の知識はまだまだ少なく、オンラインで話すことができる場所も少ないですし、出会える可能性も低いです。
だからこそ、大学って素晴らしいなと思いますし、そこで学ぶことがそもそも大学に進学する目的じゃないのかなと。
受験制度があるせいで、どうしても受験合格が目的になってしまい、本来の目的が薄まってしまってはいないでしょうか?
皆さんはどう思いますか? 受験というシステムって必要だと思いますか?
定期的な試験の結果で、能力を測り、それによって進学先が決まるシステムの方が、子どもたちの負担も減り、継続することの大切さを実感でき、それは社会に出てからも役立つのでは無いでしょうか?