自分探しとは、未来予測と現実の差を認識することからの逃避ではないか?

投稿者: | 2025年8月23日

これまでずっと、自分は自分探しをしている気がしています。

自分には何ができるのか?

自分は何をすべきなのか?

自分は何者なんだろう?

何でも良いのですが、ずっと厨二病的な状態なんだろうなと。

もうどこかで働くことをしないと決めたのも、厨二病的なのかもしれないと。

そんな自分探しって、一体何だろう?って思ったわけです。

で、ふと思ったのが、自分探しとは、未来予測と現実の差を認識することからの逃避ではないか?ってこと。

未来予測と書いたのですが、正確には理想の自分って言った方が良いのかも知れません。

その理想の自分と、現実の自分の差を感じ、それを認識、つまり認めたくないから、自分探しをするのかなと。

で、人間は未来予測をするもので、それが知能の1つの機能ではないかと最近は考えています。

大幅に進化を遂げたテキスト生成AI(ChatGPTなど)も、結局は、次に来る言葉を予測し、もっとも最適な言葉をつなげています。

それは、人間の知能ととても似通っているシステムです。

ただ、個人的に予測だけでは、人間のような知能は得られないだろうなと。

それは人間には感情があるからです。

単純に論理的なことだけでは判断もしないですし、合理的には行動しない、それが人間であり、それを引き起こしているのが感情なんじゃないかなと。

で、感情というのは、個人的に未来予測と現在の差分だと考えています。

自分探しをするというのは、その感情を認めたくないという感じの状態なんじゃないかなとか。

発生した感情を納得させるための手段として、自分探しという言葉を使っているとも言えるかもしれません。

結局、何が言いたかったかというと、自分探しって、自分を探してるわけじゃなくて、自分の未来予測と現実の乖離を小さくする行為じゃないかって話。

未来予測を変えるのか、現実を変えるのか、それは人それぞれって感じかなとか。

まあ、あくまで個人的な考えですが。

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