今の若者は~ではなく、俺の若い時はもっとバカだったという話

投稿者: | 2025年1月9日

最近、考えたことをつらつらと。

今の若者は〜は老害のはじまり?

今の若者は〜という言い方は、老害のはじまりなんてことが言われたりしますよね。

個人的にも、ちょっとわかりみ。

歳をとったことで、どっちの言い分もわかるというか、どっちも正しいし、間違っていることがあるというのが自分の認識です。

長年の経験、知識の積み重ねというのは、やはり大きく、言ってしまえば調整を終えたAIという感じ。

で、若者というのは、新しい機構や機能を持ったAIと考えるとわかりやすいのかなと。

どっちも、メリット、デメリットがありますよね。

要は使い方なのかなとも思います。

AIサービスについても、それぞれの強みがありますし、機能が違いますので、適宜使うものを変えたりしますよね。

そういうことなのかなと。

折れるべきはやはり年寄り側かなと

じゃあ、意見がぶつかった時にどうするのか?というと、個人的には年寄り側が折れるべきなのかなと思っています。

理由として、失敗したとしても実際に自分で経験することが成長に繋がるため。

知識や情報だけではない、感覚というか、暗黙知というのがいろいろとあって、そういうのって結局一度体験しないとわからないことが多いんですよね。

例えば、AIサービスで言えば、最近検索がブーム的になっています。

ただ、AIによる検索って・・・間違いが結構あるんですよね。

なので、結局、その真偽を確認しないといけません。

Perplexityなどは、リンクを表示してくれるので、そのあたりはすこし作業が軽減されますが、結局裏取りはしないとダメ。

実際に、事件がありましたよね。

最近ではFeloなどは論文に絞って情報を集めることができるので、信頼度が高そうに見えますが・・・、論文が間違っていることもしばしばあります。

具体的に言えば、取り下げたはずの論文がサイト上に残っていたという話題がありましたね。

で、こういうのって、実際に経験しないとわからないことが多いかなと。

つまり経験が大切という話。

また、新しいサービスって、年を取ってくると、試すのも結構めんどくさくなるというか。

なので、概要だけさらっと知っていて話している人も多いかなと思います。

それだと、本当に使えるサービスなのかは、絶対にわかりません。やっぱ使ってみないと。

使ってみて、やっぱダメだったなとなっても、その経験自体が重要でもあります。

今後、他のAIサービスを使う時に、必ず参考になる知識なので。

AIサービスについて話しましたが、これは他のことでも一緒だと思います。

年寄りの人たちの叡智も、そういう経験の積み重ねによって作られているわけで、そういう経験を若い人たちにも積んでもらった方が良いんじゃないかなと。

若い頃の自分はバカだった話

ふり返って自分の若い頃のことを考えてみると、本当にバカだったなあと思うことが多々あります。

皆さんはどうですか?

若い頃から熟練工のような、深い知識を持っていて、一度も失敗やミスをしたことが無かったでしょうか?

おそらく多くの人が、いろいろな失敗をしてきたと思います。

そして、今の若者は〜って、言われてませんでしたか?

結局、今の若者は〜というのは、これまでずっと言われてきた言葉なんですよね。

若者に負けたくない

今の若者は〜という言葉の裏には、若者に負けたくないという気持ちもあるのかなと思います。

でも、どうやっても無理なんですよね。

新しい技術や考え方がどんどん出てきて、時代とともに価値観も変化しています。

その変化が今はとても早くなっているのかなと。

で、それに追いつくことができるのは、若者だけなんですよね。

よく政治家の方たちが、失言する中に、女性に対する差別的な発言があります。

いろいろと言い訳が出てきますが、実際には政治家の方たちは本心で思っているんですね。本当は。

そもそもそういう時代をずっと生きてきたわけで、価値観が変わったことについていけていないだけなのです。

自分も歳を取ってヒシヒシと感じます。

新しいことに対する抵抗感があることを感じていて、何とか抗おうと頑張っている感じ。

でも、大きな時代の流れに飲み込まれていくだけですが。

ただ、若者たちはそんな中を、泳いでいくことができるわけです。

どうやっても太刀打ちはできません。

なので、若者たちをライバル視するのではなく、若者たちにバトンをちゃんと渡した方が良いんじゃないかなあと。

積み重ねた経験、知識は若者をサポートするために使う

じゃあ、お払い箱なのかというと、これまで培ってきた経験や知識というのは、個人的には非常に価値があるものだと思っています。

それを若者と戦うために使うのではなくて、若者たちをサポートするために使うのがベストなのではないかというのが、自分が最終的に言いたかったことです。

何でも挑戦させてみて、必要に応じて、助けに応じて、求められたら、自分の経験や知識をすべて若者たちに伝えるという感じ。

無理強いはあまり良くないかなと。

あくまで求められたらが良いと思っています。

あと、若者に対して言うことがあるとすれば、「俺の若い時はもっとバカだった」という話の方が良いのかなと。

歳を取って落ち着いた人も、昔は無謀なことに挑戦していたんだと思えば、若者たちももっと挑戦するようになるかもしれません。

個人的には、そういう話をしてくれる上司の方が、尊敬できるようになるかなと。

つまり、今の若者は〜とたしなめるのではなく、俺の若い時はもっとバカだった、だからもっとやりたいことをやって良いよという感じです。

そして、締めの言葉は、「責任は俺が取るから」かなと。

おそらく部下は、本当に責任取るのか?って思うかもしれませんが、1回ちゃんと部下を守れば、部下は上司を信用し、尊敬してくれるようになるでしょう。

というか、自分の経験ではそうでした。

尊敬されていたかどうかはわかりませんが、少なくとも部署の空気はめちゃくちゃ良かったですし、いわゆる風通し抜群。

で、部下がガンガン自分たちで仕事を進めてくれて、自分の仕事も巻き取ってしまうほど。

昔、パトレイバーというマンガに登場する後藤隊長が好きでしたが、上司が何もしてないような部署って、ちゃんと回ってるってことなんですよね。

まあ、本当に何もしてない時もありますけど(笑)


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