評価・レビュー
☆4/5
ドイツの様々な景色の写真とともに、ドイツのことわざや、ドイツにゆかりのある偉人たちの言葉と、その意味を紹介している本です。
言葉はある程度ジャンルに分けられています。
- 1章:世界を広げ、前進することば
- 2章:豊かな暮らしを紡ぐことば
- 3章:ひとつを極める 勇気 のことば
- 4章: 愛 と幸せのことば
気になった章から読んでもよいし、パラパラとめくって目に止まった写真から言葉を読んでも良いし、もちろん最初から読んでも良い感じ。
肩肘張らずに読めるのが本書のとても良い点だと思います。
また、本作はシリーズになっていて、他にもイタリアとか、台湾とか、韓国とかがあります。
まだすべてを読んだわけではありませんが、今まで読んだものはどれも良かったです。
以下は、本書から個人的に気になった言葉を引用しつつ考えなどをメモしたものです。
想像力の大切さ
想像力は知識よりも大切である、なぜなら知識には限りがあるからだ。
アルベルト・アインシュタイン(理論物理学者)
人間が文明を発展させた、ここまで繁栄した理由は、想像力なのかもしれないなと思いました。
カルロ・ロヴェッリ氏の「時間は存在しない」で、エントロピー増大の法則によって、人間は過去、現在、未来を認識することができた的な話があります。
それは、経験を蓄積でき成長できるということですが、それだけではここまでの発展はなかったのだろうなと。
その原動力的なものに、想像力があったのだろうという話。
近年では、パラレルワールドについて再考されることもあり、昔のSFに出てきたものが現実化したりもしています。
妄想なども荒唐無稽な話を馬鹿げたことと一蹴するのはできますが、実はそこに世界を紐解くヒントがあるのかもしれないなと思ったり。
いつだってやり直せば良い
人生は再出発の連続である。
フーゴ・フォン・ホーフマンスタール(詩人・創作家)
自分は仕事でメンタルを壊してしまい、もはや社会にでて普通に働くのは難しいかなと思っています。
そこで腐って人生を終えてしまっても良いのかなと思ってはいたのですが、昨年ぐらいから、ちょっとずつやる気が出てきたというか、会社に属する以外の働き方というか、稼ぎ方を模索中です。
歳を取ってしまうと、新しいことに挑戦するのが結構億劫なところがあって、腰が重かったのですが、今年に入ってからようやく、いろいろなことに挑戦できるようになってきました。
まさに人生の再出発という感じ。
日々、失敗の連続ではありますが、できる限り今後も挑戦はし続けようかなと。
結局、それを繰り返していくしかないのだろうなとも思っています。
そういう意味で、確かに人生は再出発の連続だなあと。
郷に入っては郷に従え
別の国には、別のしきたり
ドイツのことわざ
日本で言えば、郷に入っては郷に従えという意味。
最近は日本においても移民問題がちょこちょこ取り上げられています。
対立構造としては、「郷に入っては郷に従え vs グローバル化」なのかなと。
個人的には、本質的な部分において、どちらも一緒だと考えています。
というのもグローバル化とは、世界に合わせることではなくて、世界を受け入れることだと自分は考えているからです。
世界では〜、他の国では〜、先進国では〜、という接頭語とともに、だから日本も合わせるべきだという話になることが多い印象。
でも、合わせる前に、まず世界を受け入れることが大切なんじゃないかなという話です。
それは多様性とか、ダイバーシティとかって言われたりもしますね。
で、ポイントは、受け入れるというのは、一方的では意味がないということです。
なんか、今のグローバル化の議論って、基本的に世界を受け入れろ的な文脈が多く、本来であれば、世界を受け入れるというのは、自分たち日本も世界に受け入れてもらうことじゃないかなと。
で、世界が日本を受け入れてくれないのであれば、それは本当の意味でのグローバル化、多様性、ダイバーシティが実現できていないということでもあります。
郷に入っては郷に従えというのは、まさにそこが本質にあると思っていて、自分たちを受け入れて欲しいなら、まず相手を受け入れなければならないという話。
日本に移住するのであれば、まず日本の文化を受け入れる必要があって、その上で日本も移民の方たちの文化を受け入れることが、最初の一歩なんじゃないかなって。
今は、お互いの文化を押し付けようとしている感じがしていて、それが対立構造になってしまっている気がします。
共感することの大切さ
人とのつながり、共感できる出会いこそ宝物です。
リカルダ・フーフ(作家・詩人・哲学者)
個人的にも最近富みにそう感じます。
これは歳を取ったからなんだろうなと。
若い頃は、ぶっちゃけ人から共感されることにも、人に共感することにも、反発していたというか・・・。
30歳ぐらいまで、そんな感じだったので、今思うと長めの反抗期だったんだろうなと。
これは個人的にですが、反抗期というのは、自己の確立のために発生するものだと思っています。
自分と他者を明確に区別するための仕組みというか。
「人は感情によって進化した 人類を生き残らせた心の仕組み」で知った進化心理学的な感じでちょっと考えてみました。
人類がサルから進化したとすると、サルは群れで過ごす動物です。
その群れではボスが存在し、一つの集団というか、社会を形成しています。
で、雄のサルは一定年齢に達すると、その群れから追い出されます。
雌は、その集団の中でその後も過ごしますが(サルの種類によっては違いありそうですが)、そこで子どもから大人になる、もっと端的に言えば、子どもから雌になるということ。
で、これが反抗期が発現する原因なんじゃないかなと。
雄の場合には、自分が群れの中で、異物であることを認識することで、群れから離れやすくなります。
雌の場合には、1個体として認識することで、母親すらもライバルになるという感じなのかなと。
これはどちらも種を残していくための仕組みだと思います。
で、人間社会においては、群れの社会から、家族社会、今だと核家族社会に移行しましたが、元々群れで暮らすときの遺伝子情報が残っているので、それが反抗期として現れているという話。
ただ、群れという社会においては、共感も必要です。
歳を取ってくると、繁殖に対する意欲が低下してきます。これは遺伝子的なものもあると思いますし、単純に体力的な衰えもあるかもしれません。
で、自分だけかもしれませんが、共感という感覚も落ちてはいるものの、精力的なものに比べれば、その低下が小さいため、相対的に共感に対する認識が高まったのかなと。
よく人が丸くなったと言ったりしますが、それも同じことかもしれません。
ちょっと回りくどい感じになってしまいましたが、共感という能力は多くの人が持っているということ。
で、若い時は自己の確立のために、他者と壁を作ってしまいますが、共感という能力が無くなっているわけではありません。
だから、誰しもが共感という人間の能力を、認識することができれば、もう少しだけ社会が優しくなれるのではないかという話。
だって、共感した人に対して、敵意をむき出しにすることって無いじゃないですか。
考えが変わったときに敵意が発現することはありますが、人間は考えが変わることもあるという点について共感できれば、その敵意も小さくできるかなと。
そうやって、共感の輪が広がっていけば、戦争をすることも、少しは防げるのではないかなと思ったりしました。
運命の相手に出会えないのは・・・
誰にでも、運命の相手がいるものです。
ドイツのことわざ
よく運命の相手だというのが、恋愛系の小説とかドラマとか映画とかで出てきます。
昔は結構、その傾向が強かったですが、最近は、そういうのは減ってきた印象。
言ってしまうと、運命など存在しない説が有力になったということかなと。
運命とは、人間の力を超えて超凄い何かによって決められた定めです。
運命は人間にはどうしようも無いから、何もできないというのが、昔の考え方なのかなと。
つまり、運命の相手に出会えないのは、超凄い何かを理由にしているということです。
ただ、個人的に思っているのは、運命って自分で作るものなんじゃないかなと。
というのも、世界というのは人間が意味づけしたもので溢れていて、本質的にはそれは物、または出来事でしかなく、意味は存在しないと個人的には考えているからです。
何が言いたいかというと、運命だと自分が意味づければ、それが運命になるという話。
相手をただの人だと考えるか、運命の人だと考えるかで、相手に対する態度って大きく変わると思います。
そして、その態度は相手に伝わり、相手も同じように運命の人だと考えてくれたら、幸せな人生になるんじゃないかなと。
つまり、運命の人だと自分が思って接しなければ、運命の人は出てこないということです。
もちろん、運命の人だと他の人から思われることもあるでしょう。
その時、自分が相手を運命の人だと思えば、運命の人になりますし、思わなければ運命の人では無くなってしまうのです。
結局、運命の人というのは、自分が決めているという話。
運命の人に出会えないのは、自分が運命の人を遠ざけているのが原因じゃないかなということです。
と、いろいろと脱線しながら書きましたが、本書のシリーズは個人的に好きで、サラッと読めるので、ぜひ一度手にとってもらいたいなと思っています。