誰かを傷つけても、得られるものはなく、ただ、失うのみ

投稿者: | 2025年5月9日

思ったことをつらつらと。

人は、感情の昂りから、人を傷つけてしまう。

その感情は一般的には、マイナスの感情とか、ネガティブな感情とか、負の感情とか言われるものだ。

人を傷つける時は、それが正当なようにも思えてしまう。

それは理性が感情を上回っているから。

理性で感情をコントロールできているのであれば、そもそも相手を傷つけるという行為には及ばない。

感情とは、不思議なものだ。

人間を天使にも悪魔にもしてしまう。

悪魔になった人間は、平気で相手を傷つける。

傷つけた後に、何か得られるのかというと、実際には何も得ることができない。

誰かを傷つけて、気分が良くなることもあるだろう。

でも、普通は感情の昂りが収まっていくと同時に、理性が強くなり、冷静になって、傷つけたことを悔やむ。

人を傷つけて、気分が良いのは一時なのだ。

我々、ホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人など他の種を滅ぼし、唯一の人類となった。

それはもしかすると虐殺の歴史で、我々には人を傷つけることを良しとする遺伝子があるのかもしれない。

ただ、人間の性格は、遺伝子と成長過程によって作らていく。

遺伝子だけの話ではないのだ。

だから、多くの場合、傷つけたことを、悔いる。

数は多くないけれど、人を傷つけても何も感じない人間も存在する。

サイコパスとかソシオパスとか言われる人たちだ。

良心が存在しないと言われるが、感情が昂ったとき、人は良心を失ってしまう。

結局、誰しもが感情に支配されると、サイコパスやソシオパスのような行動をしてしまうかもしれないということだ。

つまり、泡沫の夢という話。

一時の行動だけで、その人を決めつけることはできない。

だから、常にサイコパスやソシオパスでない普通の人は、誰かを傷つけると後悔するのだ。

そう、それが普通。

誰かを傷つけても、何も感じなくなったとき、何も感じていないとき、人を傷つけた行為を正当化しつづけるとき、僕たちは大きなものを失う。

良心。

大切な心。


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