大切なのは、本質を見抜く力ではなく、本質を見抜こうと考える力ではないか

投稿者: | 2026年2月18日
NovelJam2025 嵯峨景子賞
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「本質を見抜くことが大切だ」というのは、よく言われることだよなあと。

本質とは何か? と言われたら、そのものの根本の大事な性質とか要素的な感じかなとか。

性質とか要素というと、パラメータみたいな感じにも思えますが、そのものを抽象化した際に表現されたことが、本質なんじゃないかなと。

抽象化って難しいなあと思いつつ、個人的には、そのものの分類を考えるってのが、近いかなとも思ったり。

たとえば、自動車のプリウスで言えば、

乗り物>車>プリウス

みたいな感じで、分類できるじゃないですか。

で、プリウスを抽象化するというのは、言ってしまえば、車とか乗り物だと言っているのと同じかなと。

この時に、どう分類するか? で、いろいろと答えは変わってくる、抽象化した時の本質が変わってくるという感じで思っています。

たとえば、機械>プリウスだったり、運搬>プリウスだったり、分類することもできるわけです。

そう考えていくと、本質って、分類の仕方というか、そのものをどう捉えるかによって、変化するんじゃないかなとか。

本質を見抜く力というのは、この分類というか見方がすぐに頭に思い浮かぶ力なのかなと。

当然ですが、本質を見抜く力というのは、どんどん鍛えられていくんですけど、パターン化しがちというか。

1つの物事の見方しかできなくなることも多いよなあとか。

プリウスの例がわかりやすいですけど、プリウスの本質って、車以外に考えるのって難しくないですか?

でも、実際には、他にもいろいろな見方ができるんですよね。

だから、本質を見抜く力も大切なんだけど、本質を見抜こうと考える力が無いと、そういう他の見方をしなくなってしまうんじゃないかなって。

人間って、一度、パターンとして認識してしまうと、それを壊すのって難しいんですよね。

プリウスの本質が車とすぐに思い浮かんで、それ以外に思い浮かびにくいってのが、まさにその典型例かなとか。

そんなことをふと思ったりしました。

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