自分が本当に望んでいることは何なのか?を知って、行動しないと、フラストレーションは溜まり続ける

投稿者: | 2025年10月13日

若い頃の自分は、自分が本当に望んでいることが何かが、よくわかっていなかったというか、自分にウソをついていたなと感じています。

例えば、本当は恋愛をしたいのに、他の理由を持ち出して、恋愛をしたいという気持ちを隠していました。

具体的には、今は仕事をすることが重要。恋愛にうつつを抜かしていると、将来困る的な。

確かに、そういう側面はあるとは思います。

仕事をほっぽりだして、恋愛をメインにしていたら、仕事がうまくいくはずはありません。

しかし、そうやって本当に望んでいることを隠して、自分にウソをついていたら、何も楽しくないというか。

いや、楽しさとか面白さはあるんです。

でも、満たされない感じは、ずっとつきまとっていたんですよね。

やりたいことをずっと我慢している感じなので、当然と言えば当然なんですけど。

だから、若い頃は、いろいろなことに噛みついていました。

満たされない思いを、他にぶつけていた印象があります。

自分の場合は、一念発起して、いろいろと行動を変えることにしました。

具体的には、服装も変えたし、話し方も変えたし、休みの日に遊びに行く場所や遊びに行く人を変えました。

10代、20代に自分と出会った人は、たぶん、今の自分とは印象が180度違うんじゃないかなと。

本当に全然違う人間になっているので。

ただ、自分がやりたいと思っていたことをしているので、今の自分の方が、本来の自分に近いのかなとも思ったりしています。

で、こういうことって、結構あるんだろうなあと、先日、ある人と話をしているときに思いました。

その人は、事あるごとに、xxはダメだ、xxは間違っていると、人や物事について否定から入っていました。

確かに、一理あるとは思うのですが、あくまで個人的な観測としては、xxがダメだと否定することで、自身を肯定して欲しいのかなという風に見えたのです。

というのも、自分の20代の頃に、印象が被ったため。

よくよく話を聞いて深堀ってみると、嫌な経験をしたことが発端となって、xxはダメだという否定につながっていることがわかりました。

つまり、その人が否定したいのは、嫌な経験であって、xx自体ではないということ。

xxが論理的に問題があるわけではなくて、感情がその根源にあるわけです。

で、感情が起点になっていること自体は、個人的に問題がないと思っています。

だって、人間、感情の生き物ですから。

ただ、感情が起点になっているのであれば、xxがダメということではなくて、嫌な経験をしたこと自体を問題にすべきじゃないかなと。

最初に自分の例を書いたのですが、本当は恋愛でうまくいっていないという嫌な経験を、恋愛にうつつを抜かすと将来ひどい目を見る的な感じで、すり替えるのと似ているように思いました。

だから、論理が破綻する。

当たり前ですけど。

で、厳密なというか、正論パンチ的な論法になっていって、結果、自分で論理の牢獄を作り上げちゃう感じ。

その結果、問題は解決されず、ずっとフラストレーションが溜まった状態のままなんですよね。

そこに気付けるかどうかって、とても難しくて、本人が気付かない限り、他者がいくら言っても変わることは無いと思っています。

一方で、自分の若い頃を見ているようで、何とかしたいなあという思いも、少しだけあります。

ただ、1つだけ言えることは、自分が本当に望んでいることは何か?について、ちゃんと向き合った方が良いという話。

で、多くの場合、その根源は感情にあると思います。

単純に、xxがしたいという気持ちです。

そこが判明すれば、あとは、それを目的に、行動を変えていけば良いだけ。

その根源にある自分自身を、どうやって知るのか?が、とても難しいのですが。。。

ただ、自分が感じるのは、多くの場合、何かしら、小さい頃の経験が影響しているとは思っています。

それも嫌な経験。

自分の場合には、小学生の頃に、女の子から酷い嘘を吐かれたことがあって、それを無意識のうちに引きずっていました。

本当は恋愛をしたいのに、それに蓋をしていた経験があったわけです。

他にも10代の頃の苦い思い出が、いろいろと足を引っ張っていたと思います。

今は、というか、20年ぐらい前に、自分の本当の気持ちに気づいて、行動を変えてからは、その手のフラストレーションはあまり感じなくなりました。

まあ、相変わらず、うまくいかないことが多いですが、それでも前向きに捉えられるようになったというか、うまくいかなかったことも、それはそれで経験として受け入れられているというか、そんな漢字です。

恋愛以外もそうで、今は、やりたくないことは、なるべくしないようにしています。

お金はもう少し稼ぎたいという気持ちはあるのですが、それ以上に、あまり自分が望まない方法でお金は稼ぎたくないなという思いの方が強いんですよね。

そうやって稼いでも、自分が納得できていないという感じ。

で、そういう思いを引きずったまま仕事をしていても、辛いなあと。

どこかに就職しようと思わないのも、それが理由です。

いろいろな会社を経験してきて感じたのは、ちゃんと人が評価されていないという点。

それは、自分自身の評価ではなくて、頑張っている人、ちゃんとやっている人が評価されていないのを見ると、納得できなくて、フラストレーションが溜まってしまうんですよね。

正確に言えば、ちゃんと仕事をしている人が評価されず、世渡り能力が高い人が評価されているのが気に入らないって感じかな。

それは、自分のことじゃないかと言われると、まあ、そうなんですけど。

自分は何でもかんでも仕事をとりあえず引き受けて、手を付け始める人なので、能力が高いわけじゃないです。

言ってしまえば、Yesマン的な感じで重宝されるというか。

だから、自己否定的な感じもあるんだろうなと。

まあ、何にせよ、自分自身に吐く嘘は、自分ではなかなか見抜けないので、何とも難しい話だなあと思っています。

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