
そもそも人は価値が無ければ、それを買わないし、時間を投入しない。
だから、価値の提供が無いSNSはうまくいかないだろう。
ただ、SNSを立ち上げて、皆さん使ってくださいと言っても、価値を感じることができなければ、使われることはない。
例えそれが無料であっても。
実際に、自分は過去にSNSのプラットフォームを立ち上げたことがあったが、まったく利用されなかった。
無料だったら、皆が使うかと言えば、そうではないのだ。
では、SNSの価値とは何か?
人々は何を欲してSNSを使うのか?
その理由の1つは、他者承認ではないかと思う。
端的に言えば、いいねだ。
いいねをもらうことで、自分が承認されている気がする。
それが気持ち良い。そこに価値があるという話だ。
では、いいねが無いと、SNSに価値を見いだせないのだろうか?
他者承認を必要としない人もいるだろう。
しかし、それはかなり少数のようにも思える。
家族も、友だちも、恋人も、パートナーも結局は、他者承認の1つの形とも考えれる。
そういう意味で人間は、他者を必要としているのだろうなとも思う。
また、出会いを求めてSNSをしている人もいるだろう。
しかし、出会いというのは、物理的なものであって、デジタルだけでは、意味がない。
意味がないというのは極論かもしれないけれど、関係性が希薄であることは間違いないだろう。
そもそも、出会いの目的は、その先の性的なものや恋人、友だちなどだ。
それらは、やはり物理的なもの、つまり直接会うことがなければ、深い関係になることはほぼない。
また、出会うためには、自分が魅力的である必要もある。
出会った後に関係性を発展させるにもそうだ。
そして、魅力的な人間というのは、言ってしまえば、他者から承認されている人とも言える。
自分でどれほど魅力的な人間です!と言い張っても、誰もアプローチしなければ、魅力的な人間とは言えない。
つまり、魅力的というのも、他者との相対関係でしか価値を測れない。
フォロワーの数なども結局相対的な関係ではあるものの、ある一定数があれば、満足はできるだろう。
他者承認という意味で。
フォロワー0人で、ずっとSNSで投稿をし続けるのは、かなりのエネルギーが必要な気もする。
というか、そもそも誰も見ていないのであれば、部屋の中で叫んでいるのと一緒だからだ。
やはり、他者承認というのがSNSの価値な気がする。
他者承認されると、そこに自分の居場所があるように感じるからかもしれない。
また、コミュニケーションの本質は敵か味方かであるならば、他者承認は味方であることの表明であり、味方に囲まれた場所というのは安全な居場所とも言える。
そうなると、味方であることの表明、または味方であることを感じることができる場所というのが、SNSの本質というか、SNSに求められていることなのかもしれない。