
この世界には、法則やルールはあっても問いに対しての答えは無いのかもしれないと、思ったりした。
問いというのは、哲学や哲学対話で言う問い。
答えというのは、その問いの共通的な認識という感じ。
結局、全員一致するような答えって無いという話。
テストは問題と答えがあるじゃないかという話があるけれど、それも、結局は法則やルールに合っているかどうか?だけの話かなと。
つまり、問いの答えは無いけれど、法則やルールというのは、見出すことができるじゃないかなと。
例えば、常識とは何か?という問いに対して、自分は異物検知システムという回答をした。
システムは言ってしまえば、ルールの集合体みたいなものだ。
システムは、AならB、CならDのようなルールにのっとって作られている。
そのルールにはみ出れば、エラーになるということ。
しかしそれは、おそらくだが、哲学をしている人たちが求めている答えではないのだろう。
それは、哲学に答えを求めているのではなくて、納得を求めているのでは?という個人的な考えとも一致する気がする。
つまり、問いに対する納得を求めているから、答えがバラバラになる、個々人によって答えが違うという話になるのではないかということ。