
今の若者は、コスパ、タイパと効率重視で〜みたいなことを言われる。
しかし、歳を取って気づくのは、歳を取っている人こそ、タイパを大切に考えるのではないか?ということ。
若い時は、自分の時間が永遠にあるように感じていた。
しかし、歳を取ると、いかんせん自分の死が見えてくる。
少し年齢が上の芸能人の訃報を聞くと、ドキリとする。
ああ、自分もいつそうなるかわからんなと。
そう考えると、残りの時間を大切に生きたいと思うようになった。
時間の使い方は人それぞれだ。
学ぶことに使おうと、なにか創作をしようと、寝て過ごそうと、誰かと一緒に過ごそうと、どこに価値を見出すかは人それぞれ。
ただ、共通しているのは、残りの人生を有意義に過ごしたいという話。
そういう意味でタイパを意識していると言える。
また、何かを成し遂げたいと思ったとき、残りの人生を考えると、リソース配分を考えなければいけない。
50歳になってから、本を書くとして、どのぐらいのリソース、つまり、時間と労力をかければ本が書けるかを考え、そして残りの時間と相談することになる。
どんな物語であっても、ある程度調べないといけないし、プロットを作成したりしないといけない。
天才ならサクッとできるかもしれないけれど、普通の人にとって小説を書くというのは、一朝一夕にはいかないだろう。
だから、リソース配分を考える。
完成する時期から考えて、逆算して、しなければいけないこと、書く時間の確保などをしないといけない。
若い時だったら、そのあたりは結構ゆるゆるでも良いのだが、いかんせん、歳を取ったら時間が無い。
完成しなくても良いという話もあるけれど、やはり書くからには完成させたい。
そういうことを考えて、ちゃんと書く時間の確保をする。
この時間の確保というのが、まさにリソース配分であり、リソース配分はタイパだ。
それに時間を費やして、欲しい結果を得られるか?
目的を達成できるか?
意味はあるのか?
を考えてやる必要がある。
詳細なものは必要ないかも知れないけれど、ある程度、ざっくりでも作っておかないと、小説が完成する前に寿命が来てしまう。
もちろん、50歳だったとして、平均寿命が80歳ぐらいだとすれば、30年もあるという考え方もある。
ただ、平均は平均だ。
若い時に比べれば、ぽっくりと亡くなってしまうことも往々にしてある。
だから、リソース配分が重要になる。
タイパを考えないといけない。
そして、それをみんな無意識でやっている。
タイパなんてのは、当たり前のことなのだ。