
様々な問題のすべての根源は、所有にあるのではないか?とふと思った。
社会は、所有を保証することによって、生まれたという話がある。
つまり、自分たちの所有している物、例えば土地などを、社会が保証する、例えば軍隊とか警察とか権力によって、保証するということ。
しかし、この所有が多くの場合、火種になる。
土地争いは、まさに戦争。
物を取るのは泥棒。
何かを持っていること、所有していることで、それらの問題は発生する。
転売だってそうだ。
希少価値が高いものを欲しがるというのは、所有したがるということ。
恋愛だってそうだろう。
誰かの心を行動を所有したいとも言える。
執着するのもまさに所有の概念があるからではないのか?
持っているものを失えば悲しい。もっとものが欲しい。
所有は欲望の根源でもある気がする。
もし、この所有という概念を取り払ったらどうなるだろうか?
実際に取り払うのは、難しいだろう。
今流行りのxxシェアという概念を広げていった方がわかりやすいかもしれない。
すべてのものが、全人類の共有物であると考えてはどうか?
考えることはできたとしても、モナ・リザは1枚しかない。
つまり、数が少ないから、希少価値が生まれ、それを所有したいという欲望によって人は争うことになるのではないか?
であるならば、数を増やすためにコピーがたくさん必要なのかも知れない。
コピーをたくさん作れば、1つ1つの価値は下がっていく。
一家に一モナ・リザだったら、モナ・リザの価値は高くならないだろう。
しかし、完全にコピーするというのは、難しい。
ただ、数が増えることで、本物がどれかわからなくなれば、価値が下がるのではないか?
いや、本物のモナ・リザを消去するのが手っ取り早いかもしれない。
数を増やすこと、または希少価値のあるものを消すこと、それが所有に対する欲望を下げることに繋がりそうだ。
人間についてはどうか?
これも同様かもしれない。
みんな同じ人間なら、恋愛で困ることは無いだろう。
容姿や貧富、価値観などがすべて一緒なら、誰と恋愛してもそれほど変わらないようにも思える。
そうなると、クローン人間というのが、所有に対する欲望を下げることに繋がりそうだ。
ものと一緒で、数を増やして、または希少価値のあるものを消すことが、やはりポイントな気がする。
世界が一様になっていくことが、所有という欲望を消すことになると言えるかもしれない。
世界が一様になるというと、やはり熱力学第二法則 エントロピーの増大法則がすぐに頭に浮かぶ。
結局、僕たちはエントロピーからは逃れられないのかも知れない。
というか、エントロピーの増大法則こそが、世界の真理なのかもしれないとも思う。
つまり、世界は一様になるべき、というか、一様になっていくことが、問題を解決する方法という話。