
コミニケションの本質は、敵か味方かというのが本質だと思っている。
どんなコミュニケーションであれ、すべて敵か味方かを判断するための材料でしかないという話。
厳密に言えば、同種かどうかということ。
人間のような知能が無い生物であっても、自分と同種なのかどうかを判断している。
同種、つまり味方であれば反応せず、異種、つまり敵であれば何かしらの反応をする。
なぜなら、同種であれば、攻撃する必要はないから、反応する必要が無い。
その確認こそがコミュニケーションのはじまりと考えている。
コミュニケーションというよりも、情報のやり取りだけれど。
最初はインなのか、アウトなのか。
どっちもありそうだが、基本的にはイン、つまり情報を受け取って反応するというのが、最初な気がする。
人間のコミュニケーションは、その本質である敵か味方かに加えて、様々な装飾をした感じ。
どんなコミュニケーションであっても、その根本には敵か味方かを確認したい、確認し続けたいというのがあると思う。
挨拶をしたとき、相手が挨拶を返して来なければ、嫌な気分になる。
なぜなら、敵かもしれないからだ。
それが本質だと思っている。
相手を攻撃するようなコミュニケーションが嫌われるのは結局のところ、敵と認識されるため。
言語にしろ、常識にしろ、礼にしろ、その本質は異物排除システム、異物検知システムと捉えることもできる。
自分たちの社会、コミュニティ、つまり味方とは違う反応をする人間を検知し、排除するためのシステムという話。
つまり、敵を認識することが目的なのだ。
敵か味方か、人間関係は、そこに集約するのではないかなと。