意外とみんな普通の人で、特別でありたいと思うもの

投稿者: | 2025年7月28日

思ったことをつらつらと。

人間ってのは面白いもので、みんな自分が特別な存在でありたいと思っている。

また、特別だと思い込んでいる人も多い。

でも、意外と普通という範疇に収まる。

例えば、特別な存在でありたいと思っている人は、自ら線を引いて、自分は君たちとは違う存在だということをアピールしようとする。

特別なことが存在証明と感じているのだろう。

でも、そうやって線を引くひとは、いっぱいいる。

というか、自分も若い時はそうだった。

自分が特別な存在であり、俗人とは違うのだと思っていたし、そうあるべきだと、そう行動すべきだと思っていた。

けれど、歳をとって気づくことは、凡人だったなってこと。

普通だった。

ただ、自分で線を引いていただけで、実際俯瞰してみると、たくさん人がいたのだ。

それに気づかなかっただけ。

感覚的には、DNAの違いに似ているかもしれない。

人類の個人間でのDNAの違いは約0.1%程度だ。

肌の色も違えば、顔つきだって違う、全然違うじゃないか!って思うかもしれないけれど、DNA上は0.1%しか違わない。

そう、大部分はほぼ一緒なのだ。

見えない部分こそ、本当は大切なのに、人は表面上の違いだけで判断してしまう。

特に若い時はそう。

見た目とか、言動だけで、その人を判断してしまう。

本当に大切な部分はそこではないのに、そこだけにこだわってしまう。

その違いで、自分が特別だと思いたいから。

考え方の違いだってそう。

多くの人は、大部分一緒なんだ。

違いはほんの少しだけ。

例えば、僕たちは算数の世界を共有している。

本当に特別な人は、1+1=2になるとは考えない。

そんな世界には存在していなくて、同じことを違う学問体系で構築し直し、自分の世界を持っている。

算数を捨てるのではなくて、算数に代わる同じものを作れる人なのだ。

でも、そんな人、僕は出会ったことはない。

みんなスマホ使って、算数の恩恵に預かり、食べ物や服などの物を買い、給料を貰っている。

算数の世界を共有している。

それを受け入れている。

言語だってそう。

結局、そういうベースとなるものがたくさんあって、イデオロギーなんてのは、それらのベースから生まれた、ほんのちょっとの違いだ。

氷山の一角と言ってもいい。

そういう視点で物事を見ると、世界がまた違って見えないだろうか。

もっと広い視野で、俯瞰した高い視点で見れば、人と人との違いなんて、本当に些末なこと。

そして、そこに線なんて存在しない。

線を引きたいのは、自分。

特別になりたい自分。

それを受け入れられるかどうかで、世界の見え方は大きく変わる気がしている。

というか、自分は変わった。

自分が特別な人間ではないって気づけば、他の人と共通の部分がたくさんあるって気づけば、何を大切にすべきかが少しだけ見えてくる気がしている。

そこに気づけなければ、ずっと敵ばかり探し続けることになる。

本当は敵なんていないんだよ。

敵は、自分で線を引くことで生まれる。

ただそれだけ。

そのことに気づけなければ、ずっと自分で線を引き続け、その境界ばかり気にして、戦争をすることになる。

線なんてないんだよ。本当は。

僕たちは国境という線を引いてしまったことで、争うことになってしまった。

だから、人間関係だけには、自分から積極的に線を引くのはやめようって、自分は考えている。

ただ、線を引かないといけない人もいるのは確か。

世の中には人から搾取することしか考えていない人もいる。

そういう人とは線を引いた方がいい。

それ以外では、線を引く必要なんてないと思うけどね。

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