
思ったことをつらつらと。
人間ってのは面白いもので、みんな自分が特別な存在でありたいと思っている。
また、特別だと思い込んでいる人も多い。
でも、意外と普通という範疇に収まる。
例えば、特別な存在でありたいと思っている人は、自ら線を引いて、自分は君たちとは違う存在だということをアピールしようとする。
特別なことが存在証明と感じているのだろう。
でも、そうやって線を引くひとは、いっぱいいる。
というか、自分も若い時はそうだった。
自分が特別な存在であり、俗人とは違うのだと思っていたし、そうあるべきだと、そう行動すべきだと思っていた。
けれど、歳をとって気づくことは、凡人だったなってこと。
普通だった。
ただ、自分で線を引いていただけで、実際俯瞰してみると、たくさん人がいたのだ。
それに気づかなかっただけ。
感覚的には、DNAの違いに似ているかもしれない。
人類の個人間でのDNAの違いは約0.1%程度だ。
肌の色も違えば、顔つきだって違う、全然違うじゃないか!って思うかもしれないけれど、DNA上は0.1%しか違わない。
そう、大部分はほぼ一緒なのだ。
見えない部分こそ、本当は大切なのに、人は表面上の違いだけで判断してしまう。
特に若い時はそう。
見た目とか、言動だけで、その人を判断してしまう。
本当に大切な部分はそこではないのに、そこだけにこだわってしまう。
その違いで、自分が特別だと思いたいから。
考え方の違いだってそう。
多くの人は、大部分一緒なんだ。
違いはほんの少しだけ。
例えば、僕たちは算数の世界を共有している。
本当に特別な人は、1+1=2になるとは考えない。
そんな世界には存在していなくて、同じことを違う学問体系で構築し直し、自分の世界を持っている。
算数を捨てるのではなくて、算数に代わる同じものを作れる人なのだ。
でも、そんな人、僕は出会ったことはない。
みんなスマホ使って、算数の恩恵に預かり、食べ物や服などの物を買い、給料を貰っている。
算数の世界を共有している。
それを受け入れている。
言語だってそう。
結局、そういうベースとなるものがたくさんあって、イデオロギーなんてのは、それらのベースから生まれた、ほんのちょっとの違いだ。
氷山の一角と言ってもいい。
そういう視点で物事を見ると、世界がまた違って見えないだろうか。
もっと広い視野で、俯瞰した高い視点で見れば、人と人との違いなんて、本当に些末なこと。
そして、そこに線なんて存在しない。
線を引きたいのは、自分。
特別になりたい自分。
それを受け入れられるかどうかで、世界の見え方は大きく変わる気がしている。
というか、自分は変わった。
自分が特別な人間ではないって気づけば、他の人と共通の部分がたくさんあるって気づけば、何を大切にすべきかが少しだけ見えてくる気がしている。
そこに気づけなければ、ずっと敵ばかり探し続けることになる。
本当は敵なんていないんだよ。
敵は、自分で線を引くことで生まれる。
ただそれだけ。
そのことに気づけなければ、ずっと自分で線を引き続け、その境界ばかり気にして、戦争をすることになる。
線なんてないんだよ。本当は。
僕たちは国境という線を引いてしまったことで、争うことになってしまった。
だから、人間関係だけには、自分から積極的に線を引くのはやめようって、自分は考えている。
ただ、線を引かないといけない人もいるのは確か。
世の中には人から搾取することしか考えていない人もいる。
そういう人とは線を引いた方がいい。
それ以外では、線を引く必要なんてないと思うけどね。